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どうも、高沢里詞です。
みんなからは、さろ坊って呼ばれています。
えっと、好きな食べ物は蛸で、嫌いなものはホットミルクです。
これからみんなと仲良くやっていきたいと思いますので、お願いします。
パチパチパチ・・。
てな、自己紹介を中学校のクラス替えで新学期になるとやっていたような気がするのだが、あの頃から僕の自己紹介能力があまり上がっているような気がしない。のは何故だろう。
後ろの席の高山君は何て言ったのか覚えていない。当たり前である。強制されて、前の席の人になぞって自己紹介することにたいした意味などないのだ。ないから覚えていないのだ。ただ、面白いヤツは面白いことを言うのでウケる。から、クラスが和む。意気込むとスベる。から、ちょっとヘコむ。
ヘコんだヤツは、大抵そんなことを気にしてない級友から声をかけられて救われたりするのだけれど、どうにかならないだろうか、自己紹介問題。
それはさておき、新たなブログを立ち上げました。これから、しばしのお付き合いをよろしくお願い致します。
2009年12月3日
最近、時間に余裕が出来てきたので新聞を読み始めたんだな。読売なんだけどね。
てのは、別に急に思い立ってとかいうわけじゃあないんだけど、昔から好きなコラムが読売新聞にはあって。
「人生案内」
っていうんだけど、ご存知か。ご存じないか。じゃあ、説明しようじゃねえの、タランティーノ。
人生案内というのは、まあ、子供電話相談室の大人版みたいなものなんだけど、人生に起こる様々な問題・疑問に各界の、そりゃあ作家やら女優やら弁護士といった識者たちがズバッと斬り込んでいくってなコラムで、質問者が大人だけあり、その内容というのが子供にはないグルーヴを醸し出しているっていうか、無邪気の喪失っていうか、無を喪失するってのも変な話だね、なんてーの?生活に密着していて、酷だ。
今日は、「引越しをしたら、うつ病になってしまいました。家を建てた夫と喜んでいる子供には悪いけど前の家に戻りたい」という40歳代主婦からの相談で、精神科医の野村総一郎さんが答えていた。
野村さんいわく、転居後にうつ病を発症する人は多いらしい。「引越しうつ病」なんて呼ばれているくらいだという。焦って元の家に戻ると、結局後悔して最悪ですよと忠告していた。
それはさておき、仕事が舞い込んだんだ。詩人としての仕事である。
先日、自分はイベントスタッフとしてあるイベントに参加したのだけど、その際イベントのアトラクションに出演してくださったアキバ系ヴァイオリニストのTAMさんとの共作で、CDを出すことになった。
TAMさんが制作しているCDのジャケット両面と盤面へ載せる詩の提供、というのが僕の仕事内容なのだけど、TAMさんはこれまでに仲間とプロジェクトを組んで数十点もの音源を発表・販売しており、アキバ系ミュージシャンとしては片手の指でおさまるくらいの人気上位という。全国のコミケ会場と、取引のある書店にて販売予定だそうで、実際まだ話は煮詰まっていないんだけど、デザイナーのGくんとコラボ作品を制作中である。
だけどね、僕はアキバ系じゃなくてね、知らないんだアキバ系のこと。幸い、Gくんが九州発アキバ系デザイナーなので、Gくんに助言頂きつつ、ネットでアキバ系の何たるかを調べながら詩を書いている。
エヴァンゲリオンの詩を書いてみたら、と言われたので考えてみた。うーん、エヴァンゲリオンは好きなんだな。こんなのどうだろう。
逃げちゃだめだよ
逃げちゃだめだよ
逃げちゃだめだよ
さろ坊
まあ、パクリなんですがね。
パチンコやりたくなっちゃったな。
自分には将来の夢というか、なりたい職業があって、それは作家である。
しかし作家として、自分が食べていくために、果たしてどのようなことをしていけばいいのか皆目見当がつかず悩んでいると、ある人が言うには、作家なら作品を作る以外に出来ることはないんじゃないのかという。
翻って考えてみると確かにその通りであって、どうやって作家になるかとあれこれ思案したところで作家の道が切り開けるものでなく、それは実は作家に限らず歌手にしたって絵描きにしたって、芸術家、アーティストと総称される職業に携わる全ての人は作品を作ることからまず始まっているのであって、作品なくしてアーティストたり得ることはない。
しかるにアーティストとは免許というものがなく、例えば作家なら作家免許、画家なら画家免許といった国家資格があるわけでないので、だからこそ就職への道が難解だと思われ、かつ甘い夢を見やすいものだと思うのだが、村上龍さんのベストセラー「13歳のハローワーク」で作家と引くと、こんなことが書かれてあって興味深い。
【13歳から「作家になりたいんですが」と相談を受けたら、「作家は人に残された最後の職業で、本当になろうと思えばいつでもなれるので、とりあえず今はほかのことに目を向けたほうがいいですよ」とアドバイスすべきだろう。医師から作家になった人、教師から作家になった人、新聞記者から作家になった人、編集者から作家になった人、官僚から作家になった人、政治家から作家になった人、科学者から作家になった人、経営者から作家になった人、元犯罪者で服役の後で作家になった人、ギャンブラーから作家になった人、風俗嬢から作家になった人など、「作家への道」は作家の数だけバラエティがあるが、作家から政治家になった人がわずかにいるだけで、その逆はほとんどない。つまり作家から医師や教師になる人はほとんどいない。それは、作家が「一度なったらやめられないおいしい仕事」だからではなく、ほかに転身できない「最後の仕事」だからだ。服役囚でも、入院患者でも、死刑囚でも、亡命者でも、犯罪者でも、引きこもりでも、ホームレスでもできる仕事は作家しかない。作家の条件とはただ1つ、社会に対し、あるいは特定の誰かに対し、伝える必要と価値のある情報を持っているかどうかだ。伝える必要と価値のある情報を持っていて、もう残された生き方は作家しかない、そう思ったときに、作家になればいい。】
これを初めて読んだ時なんだか自分の中に腑に落ちないものがあって、自身が作家なのでこんなことを書いているのだと思ったが、それはきっと僕がただ作家という言葉の響きの甘美に酔っていたからなのだろう。後半、作家の条件として書かれてある箇所に、作家の社会的役割が凝縮されている。要するに、作家とは自己満足ではダメで、くだらないものを書いてはダメで、医師や教師や新聞記者が作家になる時、病院や学校やマスコミのノウハウや問題点を提起するようなものを書けなければ作家じゃないよ、と村上龍さんは言っているのであって、では自分はそういった特定の誰かや社会に伝える必要と価値のある情報を持っているかと考えた時、そんな知識を求めてこなかった、見過ごしてきた自分と対峙する。
そこに夢と現実の挟間を見るのであり、これはつまりどういうことかというと、がらんどうの脳みそでもっていくら作品を挙げたところで作家ではないのだ。
世の中に訴えかけるものを作品として、初めて作家を目指せという、村上龍さんの皮肉に聞こえなくもない。同時に、そういった作品を挙げられれば文句なく作家であるというようにも聞こえる。
今現在、作家というより詩人として活動している自分は、イラストレーターのGくんと共に制作活動を行っている。
小説にしたって、詩にしたって、意義は同じだろう。コンセプトを持って、自分が社会に伝えていきたいことを言葉にしたい。そして、出来ることなら詩の文化をもっと世の中に広めていきたいと思いながら、作品を作っている。
(ここ数カ月、仕事をしていた太極拳DVDの制作がようやく完了。予約受付中なので買ってね!)
まいどまいど、まいどでまいど、まーいどまいどでまいどあり。
まいどありのありってのは、やっぱりありがとうございますの略だろうか。まいどあり。
それとも蟻語かなんかだろうか。これくれあり。お客さん、お目が高いあり。そうかあり。まいどあり。みたーな。
んで、のこのこ生きる今日の私であった。つって。亀だね、それは。
年末にブログ更新しようと思ったまま、年が明けて17日間も来てしまったよ。悲しいね。かなしす。かなしす、うれしす。最近僕の周りで、形容の最上級に語尾を「さ」で終わらす言葉が流行っている。ひどさ、とか、こわさ、とかね。ひどい、こわい、の最上級に「それはひどさだな」みたーな使い方をしてるんで。
そんなわけで、あけましておめでとうございます。去年は様々なことがあった。様々さでここには書きようがないんだけど、というか一旦書いて収拾がつかなくなってボツにしたんだけど、とくに思い出されるのはキヨシローのことか。青山ロックンロールショーでの甲本ヒロトの弔辞ですよ。キヨシローがヒロトにあげたザ・フーのピート・タウンゼントのピックを持って遺影の前に立ち、ダブルライダース姿で弔辞を読んだっつうね。激しい雨を熱唱してえもん、俺、今。
んで、今年はどんな感じかというと、ほほ、バイトを始めたん。たん、てーのは、北埼玉の方言でね、ゲートボールやったん、とか、東武動物公園行ってきたん、とかね。これ、んのイントネーションを上げると疑問形になるんで、そこんとこよろしく。スーパーの惣菜コーナーの寿司を作るバイトなんだけどね、シャリマシーンでガシャコンガシャコン毎日寿司作ってるんだぜ。ベイベー。
今年1年、激しい雨が降りそうな予感を感じてるんだ。RCサクセションを聴きながら、やっぱりノコノコ行こうと思うよ。イエー!ロケンロー!