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20120507

呪文について3

【カテゴリ:日常】

しばらく宗教の話が続きます。
さて、呪文について1・2でそれぞれ、呪文の存在と、呪文の良い効果についての話をしてきました。言葉一つの中に、人間が健康になれる力があるということをお話ししました。そして、それを補佐するのが印であると書きました。
では、呪文の悪い効果とは何でしょうか?
良い悪いというのは比喩的な表現で、ここでいう悪い呪文というのは率直にいえば人を殺す呪文です。西洋風に言えば白魔術、黒魔術の黒魔術になりましょうか。
人を殺すというと物騒なのですが、言葉というものはすでに書いたように諸刃の剣です。人を活かしもすれば、殺しもする。そして、ここが重要なところなのですが、そもそも人を殺せない(殺し方がわからない)人間は、人を活かすことも出来ない、ということです。
よく意味がわからないかもしれませんので、簡単に説明します。
前々回、言葉で人を殺すには相手のコンプレックスをつけばいいと書きました。相手が自分の体のことで悩んでいるか、学歴で悩んでいるか、家族のことで悩んでいるか、お金のことで悩んでいるか。人には色々悩みがありますが、それはそのままその人にとっての弱点です。弱点を見抜き、弱点を攻撃するから、相手は倒れます。では逆に、相手を活かそうと思ったら、どうでしょうか。これも同じです。相手がどこにコンプレックスを持っているか見抜く力がなければ、相手は活かせません。励ますとか、アドバイスするというのは、まず先に相手の弱点、欠点が見えていなければ出来ないことなのです。右目が悪いボクサーを相手にしたら、左フックを連打すればいい。逆に治そうと思えば、そこに集中して治療が出来る。ところがどこが悪いのか分からなかったら、相手を倒すことも治すことも出来ない。目に見える傷ならまだ分かりやすいですが、心というのはどこに傷があるか見えませんから、まずこの傷を見つけることが困難です。現在の心理学という分野は、この傷を探るために発展していった学問だといっても過言ではないでしょう。
話を最初に戻しますが、呪文は人を殺すという方向にも発展していったわけです。ここから少し呪文のコアな部分に入っていきます。
中学の社会科の授業で空海と最澄について習いますが、空海と最澄をなぜ教科書で習うのか、空海と最澄が何をした人か、ご存じでしょうか?
「空海は真言宗、最澄は天台宗。覚え方は真空の天才(天最)です」
と僕は社会科の授業で習った覚えがあるのですが、ただ単に宗派を開いただけの人なのか?
NOです。空海と最澄というのは、一言でいえば「天皇の相談役」でした。そこが一番大きなポイントです。密教の持つ大きなテーマは「教王護国」ですから、その内容は、王を教え、国を護ることです。真言宗も天台宗も、そのための頭脳集団であり、権力を持った組織だったわけです。
話を端折って進めていきますが、空海と最澄が学んだものは密教です。で、密教徒として二人が天皇から相談されるのは、主に以下のような事柄でした。
①病気について(平癒祈祷...)
②天候について(請雨祈祷...)
③敵について(調伏法...)
これらの問題に対して、密教は()のような対応策を持っていました。すべて呪文です。人を殺す呪文とは③の調伏法です。天皇というのは国のトップなわけですから、当然命が狙われます。この時、密教では護摩壇に火を焚いて、一心に不動明王に敵の降伏を祈るわけです。
その結果どうなるかというと、呪われた相手が死にます。死にます、なんて単純な話でもないのですが、効験があれば相手にダメージが与えられる。
しかしここで不思議なのは、これがいわゆる「俺、呪われちゃってるよ。参ったな」といった相手方の思い込みによるマイナスプラシーボ効果ではなく、もっと神秘的なベールに包まれた話、不可思議な力の効果によるもの“らしい”ということです。らしい、というのは僕も実際にこれについて詳しくは知らないのです。ここまで書いてなんなのですが、正直これは科学的に説明がつかないことです。ですから非常にオカルト的な話になってしまうのですが、密教というのはこの不可思議な力を真剣に追求している学問だということは言えます。
うっそー、という方も多いかもしれませんが、これは別に昔話ではなく、現代にも通じている話です。
例えば日本の近代史で天皇が最も危うくなった場面は第二次世界大戦時の昭和天皇ですが、この時も高野山では米国を相手にした調伏法が行われています。
太平洋戦争中に敵であるアメリカ軍のトップ、フランクリン・ルーズベルト大統領は脳卒中で突然死しましたが、これが日本軍の公式文書に「調伏法の成功」と書かれていたという話まであります。
個人的には、これは眉唾ではないかという思いもあるのですが、高野山大学出身の知人に聞いた話では、「もうだいぶお年を召された教授が、戦中にその調伏法を見たと言っていたから、調伏が行われていたことは事実だろう。一室に何人もの高僧が集められていたそうだ」とのことでした。
2012年現在においても、密教のこのスタイルは変わっていないはずです。だからこそ、今でも天皇家と高野山の縁は深いわけです。先日、今上天皇が心臓のバイパス手術をお受けになられましたが、おそらく、高野山では当然のように平癒祈祷を行っていたでしょう。
というわけで、少し話が飛躍しました。
呪文の基本的な部分は、先にも書いたとおり科学的に解明できることだと思うのですが、密教で実際に行うような祈祷は科学の粋を超えています。密教だけではなく、呪術を使う宗教は世界に数多くあり、有名どころをあげればブードゥー教などは呪術に特化した信仰といえるでしょう。というかは宗教とは元来、呪術がセットになったものです。
そして、呪文というものを調べていった時、ぶつかるのはこの壁です。科学的に説明のつかない不可思議でオカルト的な世界。
しかし、だからそれが根拠のない怪しいものかというと、それもまた違う気がするのです。世の中に起こる事象というのは科学で解明できないものも多く、科学が人知の最先端だというのは少なからず誤りな気がします。かなり高い確率で科学は先を行っていると思いますが、それは100%ではなく、何%かは密教の方が、幅広い目で見た時の宗教の方が、呪術が、科学より先に行っている部分があるだろうと思うのです。何故なら、これらのことは何十代、何百代にわたる人間の知恵の集積装置だからです。そして、そこに宗教の面白さはあります。

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