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20101122

薄命のオーラ

【カテゴリ:日常】

明るい話題ではないのだけど、夭逝について言及してみたい。
昔から佳人薄命なんてことを言うように、美人は早死にするとか、また、才ある者は若くして死ぬ、なんて言う。
この言葉を歴史に当てはめた時、確かにそうやって若くして死んだ著名人というのは多いのかもしれないが、じゃあそれを明確に、例えばブスが早く死ぬ確率と美人が早く死ぬ確率を正確に算出したのかと言えば、そんな資料は見当たりそうにない。
もし、そのような資料をつくるとすれば、まず美人の定義とブスの定義をはっきりとし、ここという境界線をつくることから始めねばならず、そうすっと今度はAさんとBさんでは、その境界線に差異があるってな個々人の主観的問題に発展してくるから、これまで誰も「佳人薄命」という言葉の裏が取れたことなんてないだろう。
しかし、そんなあやふやな言葉が巷でまことしやかに語られ、消えていかないのは何故か?
そこには確かに佳人薄命と言われる何らかの理由が存在するのではないか?
と思い、その理由を考えていたのだけど、これってのはどうも逆説から発生しているのではないかと思った。
つまり、美人が決して薄命なわけではなく、薄命そうに見える人が美人なのではないか。
肌が白くて、病気がちで、まるで風が吹けば飛びそうな一輪の花、死の連想をさせる様子が美人の一条件となっているからではないか。
また、才ある者は若くして死ぬ、と言うが、若くして死んでしまったから、その才が残された者にとって逃がした魚のように大きく膨らんでいくのではないか。
本当は開花するはずであった才能が、つぼみのまま落花してしまった時、「ああ、この花が咲いていたら、きっとこのように綺麗に咲いたのだろうなあ」と想像してしまうのは、人の情というものだろう。
つまり、夭逝それ自体が一種のステータスとなり、その人物をちょっぴり神格化してしまうのではないか、という気がしたのだ。
それ以外にも、美人や天才には、常人には理解できない世界観や人との交わりを持っていることが多く、自然死以外の事故死や自殺、他殺との直接的な因果関係も強いのかもしれない。その才色ゆえに人から僻まれたり、プレッシャーを感じたりでのストレスも大きく影響しているだろう。
しかし、僕はどうにもそういった現実的側面からだけでは夭逝を語りきれないような気がしている。
夭逝とは特別な出来事であり、普通、人間の体は平均寿命まで生きられるように出来ている。早く死ぬ、ということはそれなりに特別な理由があり、それが上にあげたような事柄だったりするのだけど、どうしてもそれだけではない、もっと漠然として語りきることができない、深い理由がある気がしてならない。
それはスピリチュアル的な話ではあるのだけど、僕はどうも世の中には夭逝の雰囲気、言ってしまえば薄命のオーラというものが存在しているような気がしてならないのである。
こんなことを言うのは物騒だが、早く亡くなってしまいそうな雰囲気を持った人が世の中にはいる。
別に今現在、体が悪いというわけでもなく、差し当たり、死の前兆のようなものがなくても、なんだか急に目の前からいなくなってしまいそうな雰囲気を持った人。いや、人だけではない。犬や猫といった動物でも、そういう雰囲気をまとった存在がどうにもあるような気がしてならない。
自分は霊感が強いというタイプの人間では決してないし、これは霊感の問題ではないと思っているけど、ごくたまに他の者に対してそんな雰囲気を感じてしまうことがある。
その感覚というのは胸の中ががらんどうになってしまうような、寂しくて、切ない気分のものだけど、実際にそれが当たるとか当らないとかいう話ではなく、例えば誰かと会っている時に、今度会う時にこの人はもういないんじゃないか、みたいな感情が理由もなく、どこからともなく突然押し寄せてきたりして僕を暗くさせるのだ。
こんなことを感じるのは自分だけではないだろう。自分はいつからこの感覚があったのか覚えていないが、誰でもこれに近い感覚を持っているのではないだろうか、と思ってきた。
そのきっかけになったのは9年前に起こった東京の雑居ビル火災の事故だ。ガス管の破損から出火し、4階にあった風俗店を全焼。暗闇の密室に閉じ込められる形で、多くの人々が亡くなった。
この火事により、風俗店の下のフロアーにあったゲーム店でも、若い男の店員が巻き添えを食って亡くなっているのだが、この被害者の両親が雑誌のインタビューに答えており、亡くなった息子についてこう話していたのである。
「昔から、あの子は急にいなくなってしまうんじゃないかという気がしていたんです」
すごく印象的なセリフだったので今でも覚えているのだけど、僕にはその言葉の意味が自然と腑に落ちた。
身近な人に感じる、その人が急にいなくなりそうな感覚。それはとても嫌な気分のものだ。
しかし、では一体自分が感じるその「この人は急にいなくなってしまいそう」な感覚、もっと具体的に言えば「特定の人が持つ薄命のオーラ」の正体とは何なのだろう。
しばらく考えていたのだが、これまでの経験をもとにどうやらわずかながらの共通点を見出すことができた。
というのは率直に言って、無邪気さである。
無邪気さ、というのはいつもそうだが、これには妙な危なっかしさがある。八卦などの占いで短命と出る時、そこにどんな理由があるのかは知らないが、無邪気さを持っている人に対して、自分は占いのような漠とした薄命を感じることがあるようだ。
無邪気な人というのは、一緒にいるとほんわかして軽く夢見心地な気分にさせてくれるのだが、そうして自分がそんな気分でいるうちにいなくなってしまいそうな感も同時に与えたりする。
こんなことを例に挙げるのはどうかと思うが、昔の女優で夏目雅子さんという人がいた。自分はリアルタイムではこの人を全く記憶していないのだが、没後、写真で彼女を知り、好きになった。特に気にいっている写真が、彼女が猿の顔真似をするように両耳を引っ張って、寄せ目をしている一葉である。
これは、女優が普通そんな顔をするかという構図の写真で、そこにある自然体の彼女からは、天性の無邪気さが滲み出てくるようなのだ。だからか、初めてこの写真を見た時、自分にはふと彼女が夭逝したわけが分かった気がした。後付けと言ってしまえばそれまでだが、その写真の彼女には薄命のオーラが漂っていたのである。とても魅力的な写真で、もしかしたら薄命と魅力というのも何かしらの因果があるのかもしれない。この写真を見ると、25年も前に亡くなった彼女に、今もファンが絶えないのがわかる。
まあ、なんのこっちゃ、自分の中でもこれははっきりした感覚ではなく、ただ漠然とそんなことを感じているだけであり、確かな根拠などこれっぽっちもない。だからそりゃ、皆本当に自分が感じた通り夭逝してしまうわけでなく、いやむしろ、ぴんぴんしている者が多いと思うのだが、とにもかくにもそんな感覚が自分の中にあるということ。皆さんはどうだろう。
おかしな話だが、それとは逆に「この人は死なないだろう。長生きするだろう」というインスピレーションを与える人達もいる。
そういう印象を与えるのはどういう人かというと、とりわけ顔が脂でテカテカしていて、細かな銭勘定に長けており、たいした仕事をしているわけでもないのに「あー忙しい、忙しい」と言っている、無邪気とは無縁のタイプの人達で、こういう人というのは随分と長生きしそうなイメージを人に与える。
薄命のオーラを持った人達、まあ美しかったり天才だったり、天性の無邪気さを持った人は、それを自覚して自分をこういう方向にシフトしていくなどすると寿命が延びると思う。
というのは冗談だが、とりあえず好きなものを食べ、好きなことを話し、寝たい時に眠る、くらいの楽な姿勢でいられれば人は誰でも健康なのかもしれない。そんなことを思った。

夏目雅子


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