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パソコンを立ち上げて、インターネットを開く度にトップページのヤフーニュースが目に入り、ついつい見てしまうのだけど、最近、そのついつい見てしまうニュースってのが、市川海老蔵さんの暴行事件にまつわるニュースであって、いかんね、どうも。つい野次馬根性丸出しになっている自分がそこにいて、恥ずかしくなるね。でも、やっぱり見ちゃうな。おかしな事件さ、あれ。
なんだか話が日に日に変な方向に進むというか、歌舞伎界だからなあ、一体どこまでマスコミと話を折半しながら報道してるのか、とか妙な感繰りをしながら見てしまうけど、昨日今日(12月1日)に至っては、六本木の闇組織なるものが文面に登場して、警察との掛け合い(逮捕?示談?)で自首がどうたらこうたら、容疑者の男「めんどくせえ」、とか、とにかくゴシップ調で、自分はドラマかなんかを見るような軽い気持ちでこの事件を見ている。
しかし、その一方で、この一連のニュースの裏では、もっと深刻だけど報道されない(それはきっと面白くないからという理由で)ニュースっていっぱいあるんだろうな、とか考えていたら、おかしな世の中だなあ、と無責任にそんな感慨を抱き、押し寄せる冬の兆し、そういえば、とある思いに至った。
そういえば。
おかしい世の中、という言葉がまるで流行り言葉のように飛び交っている現代だけど、世の中っていつからおかしいのか?
そう考えると、なんだか戦国時代の日本人も「世の中がおかしい」と嘆いていたような気がするし、それを言えば弥生時代から人々は何やかやと争いごとをしているわけで、ということは日本人てのは2000年くらい前から「世の中がおかしい」と嘆く人があったんじゃなかろうか。
ということは、え?つまりは「おかしい世の中」って別に最近に始まったことじゃなく、ここ2000年くらいずっとおかしいの?てな結論に至って、なんかショックだった。
まあ、しかし、時代によって人々が憂える世の中のおかしさは種類が違うだろうから、差し詰め平成22年の現代人は一体どんなところに世のおかしさを感じているのか、気になって調べてみたくなり、そのままヤフーのトップページにて「おかしい世の中」というワードで検索をかけてみたらば、出てくるわ出てくるわ。「おかしい世の中」の関連サイト数、ざっと3,280,000件である。
いやあ、これは・・・みんな、世の中がおかしいと思っているんだなあ。
肝心な内容はどんなものかというと、男女についてとか、宗教についてとか、政治、または金銭についてなど、生活に密着したあれこれで、引っかかるのは質問箱と掲示板のページが多く、例えば、ある質問箱では投稿者によってこんな質問がされていた。
「世の中おかしいことだらけですよね。なんで日本はこんな国になってしまったのでしょうか?」
それに対しての答えが以下。(尚、この質問には13の返答が寄せられており、以下はそのうちで質問者が選んだベストアンサー。行間は省略。)
「戦後の復興からバブルで登りつめるまでの間は『発展・成長・利益』のみを優先しました
よその国より、他の会社より、他人より儲けることをみんなで目指したんです
これにより『自分だけ得をしたい』ってのが日本人の心の中に巣食っちゃったんですね
自分だけ・・完全な利己主義
他人はどうでも自分が良ければ。。。
誰かが泣いても自分が楽しければ。。。
死人が出ても自分が安全なら。。。
人のために生きることを学ばせなかった結果です
団塊の世代が定年になります
今の日本を支えてきた年代の方たちで偉かったんでしょうが
『あなたたちが日本をダメにしてきたのは確かです』
競争とは弱者を蹴落とすコトではありません
正しく競い合えない社会システムでは正しい発展はありえません
間違った競争意識が会社も個人もダメにしてきました」
とまあ、このような具合であり(その他にも様々な意見があるので、気になった方はご自分で検索してみてください)、中には結構あてこすりのような意見もあって、それはそれで人間の妙を垣間見れるから面白いのだけど、やっぱり見続けていると、気分が陰になってくる。
そこで、では反対に「素晴らしい世の中」で検索をかけてみたらどんなサイトが出てくるのだろう、と思って、そちらも検索してみた。
すると、こちらはざっと4,000,000件。
おお、素晴らしい世の中の方が若干多い!という事実に、少なしく嬉しく思いながらも、そのページを閲覧していくと、これが、なんていうか、「世の中って素晴らしい!ワンダホー!」というようなものは実状あまりなくて、どういうものが多いかというと、「こうすれば世の中は素晴らしくなるんじゃないか?」とか「きっと、いつか素晴らしい世の中が来るさ」みたいな意見が多かったのだ。
それって結局、現状として世の中が素晴らしくない、ということを言っているの?
つまり言葉が変わっただけで、実数としては「世の中がおかしい」と思っている派に属する意見が圧倒しており、それに気づいた自分は、くわあ、ってなった。くわあ。
まあ、楽観論というのは、いつ、どの場面にあっても悲観論にそうそう勝てたことなどなく、大抵は「1999年7の月、空から大魔王がやってくる」みたいな、そういうのが人は好きなのであって、これが「1999年7の月、空から幸せの天使が舞い降りる」みたいなことを言ったところで、そういったものはそうそう流行らない。
おかしなもので、「プラス思考で生きよう」と人は言い条、結構悲観論が好きだ。
「10年後に世界は天国になります」という言葉と「10年後に世界は滅びます」という言葉があった時、多くの人は前者に「嘘嘘」と言い、後者に「マジかよ!?」つって飛びつくのであって、これは考えてみれば不思議。現に「日本沈没」なんて映画も流行る。
これは安定を求める気持ちの裏返しなんだろうか?「死ぬかもしれない」と思うことで死に対する恐怖と闘う、といったような。「世の中がおかしい」と思うことで、身の回りの理不尽に対する耐久力を身につけていこう、という。もしくは、それだけ日本社会が平和だということなのだろうか。
よく分からんが、なんにせよ、海老蔵さん暴行事件の今後が気になってしまう自分は普通にミーハーな人間だろう。ふっつうにね。
世の中がおかしいとか、どうとかいう前に、自分は自身のそんな浅はかさが嫌になった。
や、これは悲観論ではなく、冷静な分析として、ミーハーってのはおかしい世の中作りに一役買っていると思うし。ミーハーにはなりたくないと思っていても、インターネットと共に生活していたら、ミーハーにならざるを得ないよね、なんて独り言い訳してみたり。あ~あ、なんか自分がいやんなっちゃう。