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自分の地元では、年末になると、町の大通りで酉の市という祭りが開かれ、大層にぎわう。
出店屋台が路肩に所狭しと並び、多くの人がその中を行き交う。この祭りではあるものを売り出して、それを求めて多くの客がやってくるのだ。
そのあるものとは、熊手である。
もちろん、ただの熊手ではない。縁起物の熊手で、扇状になった骨のところにおかめの面やら、宝船やら、俵、小判といった飾り付けがしてある。全て他愛もない作り物の飾りだが、たくさんの熊手を売るために、店先一面に様々な飾り付けの熊手を並べた出店の華やかさは、祭りの夜の喧騒と相まって神秘的ですらある。
自営業を営む我が家では、毎年この祭りに行き、熊手を買った。年末になると親に手をひかれ、来年一年を商売繁盛で過ごすための気にいった1本を探すのだ。
熊手には掌ほどの小サイズから、大人でも抱えきれないほどの特大サイズがあり、自分の家ではいつも、本物の熊手ほどのサイズのものを買っていた。
この熊手を買う時は、売り子の皆さんが3本締めをやってくれるのだが、今でもやってくれるのだろうか。
「それでは高沢家の益々の商売繁盛を願いまして、お手を拝借。いよ~!パパパンッパパパンッパパパンパンッ・・」
とハッピ姿の若衆が、年寄りの掛け声に合わせ、手を叩いてくれる。
子供の時分は、あれがなんだか嬉しくも恥ずかしくもあり、あの一瞬だけは自分たち家族が、この祭りの主人公になったような優越感を覚えたものだ。
特大サイズの熊手には、札に墨書きで名前が大書してあり、すぐにどこどこさんが買ったものだと分かる。
「あそこんちは儲かってるんだねえ」と町の人が噂し合えば、また景気も上がるのだろう。子供の頃は分からなかったけど、おそらくそのようなシステムだったはずだ。
特大サイズは、いつもこの売約済みの札をぶら下げて、出店の一番高いところに飾ってあり、自分もいつかあの特大サイズの熊手を買って帰りたいものだと子供心に思っていた。あれって、いくらくらいだったんだろうか。値札なんかついてなかったから分からないけど、きっとウン十万したのだろう。
年も明けて、正月になれば、家に親戚一同が会し、この時、前年の古い熊手はより合った子供たちのおもちゃにされる。
大判やら宝船は、熊手から引き抜かれ、無残にも骨組みになった熊手と、人気のない小判などがスカスカの熊手に割り箸で斜めに突き刺さったまま残される。そうして結局屑山になったそれを抱え、親父は神社のお焚火へ向かうのだ。
ざっと、これが自分の中の酉の市に関する思い出であり、成人するまで、自分は全くこの行事を疑ったことがなかった。
ところが。
二十歳も過ぎたある折、自分は広島県にて働くことになり、勤め先の自動車工場の仲間であったT君から祭りに誘われて出掛けた。11月のことであった。
「えびす講と言ってね。広島の三大祭りの一つだよ」
と説明され、ついていくと、なるほど、大きな祭りである。
広島の中心部、えびす通りや流川通りの歓楽街、八丁堀のデパートやビルの立ち並ぶ街中で大々的に祭りが開かれている。その中心は、どうやら胡子神社という街中の神社が中心らしかった。
「じゃあ、とりあえず、そこに向かってみるか」
と自分とT君夫婦の三人で歩きだしたのだが、暫くしないうちに、自分は「アッ!」と声をあげてしまった。
なんと、その祭りの出店で、あの熊手が売られていたのである。
驚いた自分は、横にいた二人に「この祭りは、酉の市じゃないの?!」と尋ねた。すると二人は顔を見合わせ、きょとんとしている。
「酉の市って何?」
「えっ?」
自分は唖然となり、その場で黙ってしまった。
そうして、ようやく「自分の地元ではこの祭りのことを酉の市っていうんだよ。この熊手を売っててさ」と身振り手振りで説明すると、T君は「へえ、広島ではえびす講としか言わんよね」と奥さんに相槌を求めた。横にいた奥さんはT君の顔をつっと見つめ、かわいらしく「うん」と頷くのだった。
後で知ったことだが、酉の市は主に関東を中心にしたお祭りらしい。逆に、えびす講は関西を中心にした祭りであり、大阪ではえべっさんと呼ばれ庶民に親しまれているとのこと。
両方の祭りの起源は全く別物らしいが、何故、この二つの祭りで同じ熊手が売られているのかが分からない。お互い違う文化の中で、全く同じ熊手が出来上がろうはずもないし、きっと、どちらかがどちらかにこの熊手を持ち込んだのだろう。
先日、宮崎にてアルバイト先の配達に出かけていた自分は国道脇に立てられていた幟を見かけ、また「アッ!」と言ってしまった。
その幟には、大きく「酉の市」と書かれていたのである。
「えーーっ!!宮崎は酉の市なの!?」と車の中で独りごちた自分は、日本の文化の面白さを深く思った。
えびすというのは元々、大和政権に追われた土着の神だったそうだから、それならば関西中心で、宮崎にえびす信仰がないのも頷けるのだが、何故に酉の市なのだろうか?そこがまた謎だ。もう全国統一で、熊手祭りでいいじゃないかとも思うのだが・・。
ちなみに、これ、何故熊手かというと「熊手で福を掻きこむ」という縁起から来ているらしい。どうも、昔の人は洒落ている。自分はそういう粋なものが、わけもなく好きだ。
(酉の市の風景/YAHOO!画像検索より転載)