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20120318

臭いモノに蓋した未来

【カテゴリ:日常】

少し前に、このブログでダイダラボッチについて書いた時、「祭りとお面」について少し触れた。
祭りとお面の関係性は面白いもので、ひょっとことおたふく。演者が双方のお面をかぶり、舞を舞う。
この舞の中で二人は求愛の末、スカしスカされながらも結局結ばれ、いちゃいちゃしたりするわけだが、江戸期以前の祭りというのは、このひょっとことおたふくに限らず、一つの求愛場所でもあったらしい。
というのも、祭りの機能は本来、神様や先祖への奉納を大義としながらも、実際面では日々の生活で鬱屈した心を開放するところに意味があり、では、その解放の方法は何かというと、羽目をはずして騒ぐ、無礼講をする。詰まる所、昔でいえば喧嘩とセックスだったのである。
今でも喧嘩神輿、なんつって、大阪岸和田のだんじり祭りなど、毎年死傷者が出ることで有名だが、この祭りに参加する住民というのは、祭りが終わったら、もう次の年の祭りの準備を始めるほど祭り好きらしい。
セックスの方にしても、例えば、自分が沖縄を旅した時にこんな話を聞いた。
「俺の爺さんの頃は、祭りっていうと近くの浜辺に集落の人間が集まって、乱交したらしい」
ある集落の集会で聞いた話だが、おそらく大正、もしくは昭和前期の話だろう。
その他にも日本各地に男根祭りというような、女性の子宝を祈る祭りが数多く残されているが、これらも結句、そういうことなのだろう。
現代の日本の社会常識やモラルは戦後に作られたものが多く、今では想像しがたいのだが、例えば、夜這いという求愛システムも戦前戦後まで残っていたという地方は少なからずある。(沖縄の離島には今も残っている地域があるらしいが)
で、これは自分個人の見解に過ぎないけれど、お面というのは、そんな“お祭り”の中で必要不可欠なアイテムだったのではないだろうかと思うのである。
仮面舞踏会じゃないが、それと似たシステムとして、仮面をつけて祭りに参加する意味は、人間個人が自らを開放し、さらけ出した後に気まずくならないよう、顔隠しの意味合いもあったのではないかと思う。祭りの時にお面をかぶるという文化は、神への奉納、芸能という意味よりは、どうもそのための役割が強かったのではないか。
翻って考えてみれば、日本人というのは、そういうことが好きだ。
こけしなんていうのも、その一つだろう。
こけしは温泉地での土産が発祥のようだが、これは張り形としての意味も有する。というよりかは、張り形を人形の形にすることで、鑑賞用という大義を得ていると言ったほうがいいのかもしれない。昼間は居間に飾っておき、子供のおもちゃにもなり、夜は性具として用いる。
現代でも、新聞の折り込みチラシに、マッサージ器と称して「それは明らかに大人のおもちゃでしょう」とツッコみたくなるような商品が販売されているのを時々見かけるが、こういうおためごかしというのか、なんというのか、大義があればそれでよいとする。大義を作って、小義を隠す。臭いものに蓋をする。みたいなことが日本人は好きだ。
で、少し話がずれたが、祭りの時にもう一つ必要不可欠なものとして、昔は大麻があった。
日本の法律に大麻取締法が出来たのは1948年のことで、元はGHQが進駐軍の間で蔓延しつつあったマリファナ喫煙を辞めさせるために布いたといわれる。
だから、それまでの日本は大麻OK、どころか神事や祭りには大麻が必要不可欠であり、密教や天皇家に関しても、大麻とのつながりは深かった。
その大麻なのだが、実はとても利用価値の高い植物であり、繊維としても薬としても重宝するし、もう一度、大麻について考え直そう、というのが故中島らもさんや窪塚洋介さんの訴えるところの大麻開放論であり、しかし、これは現在、ほとんど世間から黙殺されている観がある。寝た子を起こすな、というか、これも一つの「臭いものには蓋」の例だろう。
しかし、今や、大麻どころの話ではなく、酒もタバコも禁止になりそうな勢いである。
タバコは、コンスタントな値上がりもさることながら、タスポの強制化、喫煙場所の制限など、嫌煙ブームで相当な喫煙者いじめが起こっている。いじめなんて言うといい過ぎだという人もいるだろうが、これもまた健康被害を“大義”にしたいじめである。副流煙だとか受動喫煙だとか言うけれど、そんなことを言えば、都会にタバコの吸い場所はない。それでは「吸うな」というのに等しいではないか。なんでタバコ税なんて税率の高い税金を払ってまで、「吸うな」と言われにゃならんのだ、という話にもなってくる。ようやく吸ったと思ったら、罰金取られたり。それでもって、嫌煙者からは簡単に「やめりゃあいいじゃない」みたいな分かったことを言われ。だったら、ニコチンガムの無料化でもしやがれゴルアアアアとも言いたくなるだろう。
酒にしたって、どんどん法律は厳しくなっていき、というか、健全な社会を作ろうとしたら喫煙者も酔っ払いも不必要な存在であるからして、自然と世の中はそういうことを排除していこうという姿勢になっていくのは、これ当たり前であり、そのうち酔っ払いによる残忍な事件が起これば、それをきっかけに酒の購入も免許制になったりして、あひゃあ、そうなると一般庶民の愉悦、享楽というのはどこへ行ってしまうのだろう?
乱交もダメ、大麻もダメ、タバコもダメ、酒もダメ、そういう世の中になった時、人間はまるでロボットだよ。
この先、あらゆる業種でコンピューターによるオートメーション化が進み、効率化の陰で人力がどんどんどんどん要らなくなってきて、職にあぶれるものが続出。フリーターなんつって、アルバイトでも仕事あるだけよっぽどマシ、な時代がやってきて、え?そして享楽もない?頑張ってマイホームを買って、死ぬまでローンを払い続け、国と銀行を太らせ、自らはやせ衰え食うに精一杯、はは、あれだけ払った年金が鐚一文も帰ってこない。泣かせるぜ。つって発狂するものが増えそうな気もするんだけど、こんなことを言う自分は終末論者なんだろうか。これって、結構リアルな気がするんだけどな。なんだかな。

沖縄の道


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