新しい記事を書く事で広告が消せます。
一人暮らしを始めたので自炊をしている。
一人暮らしも自炊も、2007年ぶりのことだ。2007年まで自分は地元で一人暮らしをしていた。
その時は仕事で土木作業員をしていたので、毎日弁当も作っていた。
ある日、いつものように米を炊いて、弁当を作ろうとすると、どうも炊いた米の様子がおかしい。
一口とって食べてみると、生煮えである。
これは一体どうしたことだろうと思い返してみると、前日の夜、セットしたはずの炊飯ボタンをうっかり押し忘れていたことに思い至った。つまりは保温ボタンのまま米を炊いてしまった、なんて失敗であった。
保温ボタンで炊いた米はとても食えたものではなく、あの時は朝から悲しかった。
~汚れつちまつた悲しみに今日も小雪の降りかかる~
今回の一人暮らしではそんな失敗はしないと肝に銘じ、自炊をしている。
朝、昼、晩、ちゃんと作ることにした。
それというのも、前から気にしているアトピーのことで、可能な限りインスタント食品を排除した生活を心がけているからである。
それで、初日は麻婆豆腐を作ってみた。
ええと、これのポイントは麻婆豆腐で、豆腐だけではなくピーマンを入れてみたことにあり、味噌汁は具が見えないので一見すると具なしのようですが、底の方に豆腐となめこが沈んでおります。
僕の記憶が確かなら、今まで食べてきたなめこの味噌汁はなめこが表面に浮かんでおり、すぐにそれと分かったものなのですが、このなめこの味噌汁は何故なめこが底に沈んでいるのか不思議。どうして?
味は…ううむ、微妙である。
何かが足りない気がしてならず、果たして何が足りないのか判らぬまま、その日を終えた。こんな料理を海原雄山か北大路魯山人に見られたら蹴り殺されそうである。
二日目。
僕は自分の勤めているスーパーで舞茸を購入してきた。舞茸のバター炒めを作ろうと思ったのである。
写真の中央は出来上がった「舞茸のバター炒め」である。
非常に格調高い料理が出来上がったと自負している。この「舞茸のバター炒め」には舞茸とバターしか使用していない。とてもシンプルながら、野菜の味を活かした通好みの味となっている、と言いたいところですが、げろまずです。
炒める前は量があったのですが、炒めたら舞茸がしぼんでしまい、写真のようなボリュームの無さになってしまいました。
右側の味噌汁はまたもや具なしの味噌汁のようですが、昨日と同じく「豆腐となめこの味噌汁」であります。椀の中央辺りに黒点のようなシミがありますが、これがなめこの頭であります、はい。僕は「豆腐となめこの味噌汁」が好物なんですね、はい。
左手のご飯ですが、どんぶり鉢になっており、このおかずでこの量のご飯を食べるのはちときつく、「舞茸のバター炒め」で半分、「豆腐となめこの味噌汁」で半分、食べる予定でしたが、そううまくもいかず、このあと「韓国のり」を持ってきて、それをおかずに食べております。はい。
この時点で、何が足りないのか、僕は気付きました。それはレシピ本です。僕はレシピを知らないまま、感性で料理をしていたのでありました。感性の末の「舞茸のバター炒め」でありました。なるほど、こうもなるはず。
翌日、早速、レシピ本を購入。NHK出版の「きょうの料理」という雑誌の4月号。
パラパラとめくってみると、うわあ、おいしそうな写真が一杯。どれにしようかな、と迷ってしまう。
3日目。
焼きそばを作りました。
あ、これは格段にレベルがUPしましたね。これでもまだ蹴り殺されレベルですが、とりあえず良しとして、今日に至っております。
そんなわけで、もう料理の写真をUPすることはないでしょう。それではバイナラ。また来週。