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韓国語と日本語がよく似ている、という話をご存じだろうか?
例えば、韓国語で母親のことをオモニと言うが、日本語で母のことを(母屋…おもや)のようにオモという。
腹ぺこ、という言葉があるが、このぺこも韓国語のペーコッパ(腹減った)が由来だといわれる。
乾杯という言葉は、韓国ではカンペーという。
宮崎方言に「てげてげ」という言葉がある。「だいたい」とか「適当に」といった意味の言葉だが、韓国語に「テゲ」という単語があり、これは「とても」「非常に」といった意味になる。実は宮崎弁の「てげてげ」は単一で「てげ」という時もあり、例文を挙げれば「てげ、うめっちゃが(とてもおいしいよ)」というような使い方で、「てげてげ」と「てげ」では意味が変化し、「てげ」が「とても」という意味になる。つまり韓国語の「テゲ」とまったく同じ意味になる。
メンチを切る、のメンチは韓国語で「目が利く」という意味だ。
言葉だけではない、料理もそうだ。
宮崎名物に「冷汁」という料理がある。味噌ベースの汁にキュウリの薄切りや、白ゴマ、細切りにしたしそなどを混ぜ、その中にご飯を入れる。一種の郷土料理だ。
ところが、この「冷汁」を郷土料理にしているのは宮崎だけではなく、全国に何カ所かある。実は自分の地元・埼玉にもこの「冷汁」という料理が存在し、地元では郷土料理として愛されている。だから、宮崎で初めて「冷汁」を見た時は「なんで?」と思った。
ちなみに埼玉では、ご飯でなく、そうめんを入れることが多い。宮崎・埼玉以外では山形にもあるらしい。一節によると、古くから農民の夏バテ防止で食べられていた料理だと言うが、何故、日本各地に「冷汁」というまったく同じ料理が郷土料理として点在しているのか。理由はよく分からない。
ただし、この「冷汁」、これも驚くべきことに韓国に同じ料理がある。韓国語ではネングというが、日本語に訳せば「冷汁」となる。日本と同じ味噌ベースのスープにキュウリやゴマ、海鮮を入れて食べる。
なぜ、海を隔てた韓国と日本の文化がこれほどよく似ているのだろう。不思議ではないだろうか。言語学でいえば、韓国語は日本語と同じアルタイ語に属し、文法がまったく同じになる。作家の司馬遼太郎さんいわく「韓国語を覚えるのは本州の人間が薩摩の方言を覚えるぐらいの努力で覚えられる」とのこと。
日本は島国だ。そして、地政的に極東といわれるほど、大陸のはずれに位置した国になる。
もともとはユーラシア大陸と陸続きであったのが、2万年前に裂けた。北から南から中央から多くの人種がこの極東までやってきていたことだろう。陸続きの時も、そして海を隔てた後も。
だから、本来、この国は世界でもっともインターナショナルな国なはずだ。旅を続ける世界中の民が行き着いた先が、日本という、この東のはずれの小さな島ではなかったか。
日本人の顔もよく見ると違う。
欧米の人間は、中国人と韓国人と日本人の顔の区別がつかないと言うが、そんなことはない。3国とも特徴のある顔立ちをしている。さらにいえば、日本の中でも地方によって顔が違う。北海道と沖縄は特にそうだが、実は関東と関西でも顔のつくりが若干違うし、さらにいえば山陽と山陰でも違う。京都と大阪でも違う。東北と関東もまた違う。
再度、司馬遼太郎さんの引用になるが、司馬さんは日本人の顔を見ただけで、だいたいその人間がどの地方出身か分かったそうだ。ある講演会で司馬さんと一緒になった作家の方が司馬さんに「私の両親はともにある地方の生まれなのですが、私の両親の故郷がどこか分かりますか?」と尋ねたところ、司馬さんは「一つだけヒントをくれ」と言ったそうだ。
その作家さんが「それでは関ヶ原より西」とヒントを出すと、司馬さんは即座に「あ、長州」と答えたという。
その作家の両親は山口県出身だったので何故分かったのか聞くと、司馬さんは「あなたの顔は長州顔なんだよね」と言ったそうだ。長州顔というのはまず基本的に面長なのだという。
先日、ある知人とお話ししている時に、「戦国時代の武士が何故、討った相手のくびを持ち帰ったか」という話になった。
「首があっても、あれだけ多人数ではそれが仲間か敵か分からないのではないか」という僕の疑問に対し、その知人の方いわく、「おそらく、大和など昔の日本では地方地方によって民族がバラバラで、顔のつくりが違かったのだろう。だから、首を持って帰れば、それが敵であるとすぐ分かったのではないか。戦国時代はその名残なのかもしれない」と鋭い意見を聞かせてもらった。
首をとる、という大きな意味は、かつての日本国内の争いが「対・外国戦」であったことを象徴している。それは内戦ではなかったのだ。日本国内ではかつて、多くの「顔が違う民族」がその領土を争っていた。今ではすべて日本人である。