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20121009

源学番外編  セックスレス

【カテゴリ:日常】

セックスレスが増えているという。
ということが社会問題化していて、NHKの朝の番組でセックスレスについての特集をし、それが社会的に話題になったことは記憶に新しい。
実はセックスレスというのは、夫婦間だけの問題ではない。未婚者、独身男性にも広がっている現象だ。セックスレス、という言葉の一般的な定義は「特殊な事情がないのに、カップルの合意した性交渉、またはセクシュアル・コンタクトが1カ月以上なく、その後もその状態が長期にわたることが予想される場合」(参考文献「セックスレス亡国論」より引用)だが、カップルに限らず、若者全体がセックスをしなくなった、という総体的な現象でもある。
今上に挙げた「セックスレス亡国論」という本は、セックスレスについての構造を歴史的、科学的に説いた素晴らしい本なので、興味があったら読んでいただきたいが、この本を底本にして話していく。
この本を貫く論旨として、セックスレス化の最大の原因は資本主義による男性のオナニスト化、ということがある。
これはどういうことかというと、現代の資本主義というのは、自分たちの生活の中から「不便」を取り除くことに夢中になってきた。洗濯板が二層式洗濯機になり、やがて全自動になったように、テレビのスイッチが手動からリモコンに切り替わったように、家電が携帯になり、携帯がスマホになっていったように、人間は「面倒くさい」ことを嫌い、不便をなくして、すべてを便利化することで、ここまで来たのだし、それを資本主義が後押ししてきた。
資本主義では、この不便代行を生業として会社が発展してきた。例えば、遠くのスーパーまで買い物に出かけるのが面倒で、資本主義は我々にコンビニを与え、さらにはネット通販まで与え、面倒でない「快適な生活」を提供してきた。
だから我々は自分の身の回りをありとあらゆる形で便利化してきたのだけど、最後に残ったのが「セックス」だった。
つまりセックスの便利化が進んだ。
というのはどういうことかというと、お金を使って、身なりを整え、デートコースを考え、時事もチェックしながら、そうやって女の子とセックスをするというのは本来非常に面倒なことで、この面倒なことを嫌った結果、多くの男がエロ本→エロビデオ→エロDVD→エロサイトという流れに乗っかった、ということだ。
これら、エロは儲かると気付いた資本主義者たちのもと、セックス代行業ともいうべき会社が栄え、男たちのセックスレスが始まっていく。
とここで、オナニーとセックスでは違うのではないか、セックスの方がやはり気持ちがいいのではないか、という意見があるだろうが、男にとってオナニーとセックスにそれほど快楽の差があるわけではない、ということなども「セックスレス亡国論」では、検証している。
自分の身の回りを省みてみれば、エロサイトに詳しい男性は多い。それもオタクというわけではなく、至って一般的な男性である。しかも大抵、皆見るサイトがかぶってくるようで、もし、今、全国の男性に「Xvideo」というエロサイトを利用したことがある人はいますか?という質問をしたら、きっと多くの人が手をあげると思う。
以前、作家の渡辺淳一さんもエッセイで「草食系男子」について言及しておられた。いわく、草食系男子というのは性欲をなくした男子と見られがちだが、どうもそうではなく、彼らもオナニーは頻繁にしているのだ、というような内容だった。
つまり草食系男子の正体とは「セックスが(手順から実践まで)面倒で、楽なオナニーに走った男」ということであろう。そのための便利が氾濫している。彼らは女に興味がないわけではなく、何かと面倒なセックスが嫌いなだけなのだ。
では、女性面ではどうなのかというと、女性にももちろんオナニーに走る人は多く、しかし、男と女のオナニーには差があり、男は出してしまったらそれで満足するのだけど、女性の場合、オナニーをしても欲求が解消されるわけではなく、リアルな体験を求める方向に向かっていくという。
男性は昔、狩りをしていた頃の名残で女性よりも格段にイメージ力が強く、二次元世界からもイメージによってオナニーが出来るのだけど、女性は赤ん坊を産むという性質上、どうしてもリアルな種を求めるから、本能的にリアルな方向へ向かう。
これは女性が「現実的」、男性が「理想的・空想的」世界に生きると言われる所以でもあるのだろう。
そんなわけで世の中は「草食系男子(ニート・オナニスト)」(仕事もセックスも面倒なことはしたくないひきこもり型)化が進み、女性はその満たされない欲求を解消すべく、リアルを求めて歩く「肉食系女子」化が進んでいくという按配である。
つまり、このままいくといずれ国は滅びるのではないか、というのがセックスレス亡国論であり、今の資本主義というのは「息子が何もかも面倒くさがる若者と化し、ひきこもっているのを苦々しげに眺めながら、父親自身は会社に行ってそのひきこもりを助長する便利商品を開発している」ケースが一般化しており、この負のスパイラルをどうにかしなければならないが、どうにも出来ない、と語られている。
だから、もう一度、男たちは、女たちは、それに気づき、ちゃんとセックスに向き合い、原点から始めていかねばならないのかもしれない。
「セックスレス亡国論」(鹿島茂・聞き手/斎藤珠里、朝日新書)は、具体的でしっかり裏まで取って、分かり易く簡潔。おススメです。

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