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20100404

阿呆の記憶

【カテゴリ:阿呆】

通り過ぎてゆくよね 日常が
蒸し返してるよね 憤り
散漫 憤懣 でででですとろいや
そう、ロングタイム。あ!5-5!

お味噌の中のポセイドン。
真空発破ポポイポイ。
ヒンズー?それともヒンドゥーですか?
論法にポンしてロン。俺の血ーが。俺の血ーが北に流れて。

ブログ書こうと思ったら、急に詩作をしたくなったので、冒頭にこんなこと書いてるんだけどね。いいなあ、満たされていくよ。満たされていく詩作の感情。満たされていく香り、ネスカフェゴ-ルドブレンド。ねじめ正一さんが、「高円寺純情商店街」のあとがき(だったと思う)で、小説を書くときと詩を書くときは使う筋肉が違うんだ、というようなことを書かれていたのをよく思い出すんだけど、それって右脳と左脳みたいなもんだろうか。昔、東北大学(だったか)の川島教授(であったろうか)監修の脳トレってゲームが流行ったけど、あれ、今でもやってる人いますか?僕、今さらながらやりたいんだけど。めっちゃ高速で足し算していきたい衝動は左脳を鍛えてみたい欲求から。そういえば、アメリカで野球をしているイチロー選手が小学生のころずっと、走る車のナンバーを積算していたんだって。登校時や下校時ね。それをどこかの学者が素晴らしいと言っていたのを何かで読んだことがあるんだよ。動体視力と計算力を身につけるのに抜群とか。そういう方法を編み出しちゃうイチローってやっぱり天才だし、そういうことを一人黙々と続けちゃうイチローってやっぱり努力家なんだろうな、なんて思って。僕はね、小学生のころ教師に「怪しい車を見たらナンバーを覚えておきなさい」と教わったから、下校途中にナンバーの暗記術というのを考えていたことがあるんだけど、小3のころに見た怪しい車のナンバーをまだ覚えていてね。49-29なんだけどね。シクニクシクニク繰り返していたら、その言葉のイントネーションで永遠に頭にこびりついてしまったね。そういうことってあるよね。ところで一般的な人間が、一瞬で覚えられる数字というのは、だいたい8ケタだそうなんですが、ま、たしかに電話番号とかギリって感じでね(ギリって感じとかなんかあれだね、つい普段口に出しちゃうけどさ、書いてみるとアレだね)、よく車の中で電話番号をメモれない時(メモるとかアレだけど)、同乗者に「ちょっと上4ケタ覚えといて、俺、下4ケタ覚えとくから」とか言っといて、その4ケタを見事に忘れる時あるよね。4762が呟いているうちに4726になってたりとか。バッカダヨナー、おれ、バッカダヨナ―と思う瞬間だけどさ。こういう記憶のすりかえって、実は日々起こっている気がするんだ。つらかった日々が、いつのまにか楽しい思い出になってるとかね。けっこう人間って、都合よく記憶をすり替えちゃうものなんだ。つらい出来事は本来つらい出来事のままなんだけど、頭の中でちょっとスパイシーにエッセンスを加えちゃったりしてさ、受験勉強、大変だったけど楽しかったなー、とかね。受験勉強が楽しいはずはないんだけど、受験勉強の合間にあった飲み会とか情事が楽しくってさ、その一瞬の開放感を味わった思い出がつらい思い出と手を結ぶんだね。それを一まとめにして、受験勉強、大変だったけど楽しかったなー、という思いだし方をしちゃうことって、結構あると思うんだな。楽しいのは登山じゃなくて、山頂からの景色と、そこで飲む一杯のコーヒーでしょ。登山が楽しいというけどさ、みたいな。そう考えていくと、楽しさって、苦しさからしか生まれないってことがよく分かり、一瞬の開放感なんだな、としみじみ思ったりするんだけど、まれにそのつらさ自体を楽しめちゃう人っているんだな、これが。不思議だね。でも、そういう人も実は何も楽しいことがないわけじゃなく、つらさに耐えている自分に楽しみを感じているのかもしれないし、最果てにある結果だけにやはり楽しさを見出しているのかもしれない。なんて言うか、人生80年計画。80年目の最期の瞬間に見る景色だけに楽しみをおいて、それまでが全てつらさでもへっちゃらという人。もしくは、これを死後に置いている人もいるかもしれない。まあ、天国の概念ってそんなことかもしれず、だから信じなさい、と宗教は口を揃えて言うのかもしれないし、善男善女も存在するのかもしれない。目の前につらさしかなかったら、せめて天国は信じたいものだしね。救いってそういうことなんだろうな。へ、つらいことしかなかった時代に、つらさを耐える効率的なシステムを太古の昔は宗教に編み出した。それってけっこう騙しチックだったりするんだけど。大事なことって、なんだろうね。


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