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てな、タイトルをつけてみたのだけど、フンカフンカうまい内容があるわけでもない。
最近、サワーペーパーっちゅう駄菓子にハマってんのだけど、これはうまい。原産国がタイランドって書いてあるんだけど、外国製のお菓子って大抵まずいんだけど、中に抜群うまいのが時々あって、その一つがハリボーのハッピーコーラグミってんだけど、これが僕は大好物なんだな。
ところで、ハマるって言葉はいつ生まれたんだろうね。僕はこの言葉を小学生のころには使っていた記憶があって、何でそんな事を覚えているかってえと、親父に「ハマるってなんだ?」と聞かれた覚えがあるからね。覚えてんだけどね。ハマるって、ロングランな流行語だよね。流行って、冷めるから流行なんだけど、冷めないと普遍への昇格チャンスを獲得するってえか、まあピアス?みたいな。ピアスが流行りだしたとき、子供ながらにこんな流行りはすぐに廃れるだろうと思っていたけど、ピアスってもうフッツーになったよね。タトゥーはちょっと伸び切らなかったイメージがあるけど、これも馴染みが深くなってきたってえか、あっそれタトゥー?って時代にはなったってえか、社会が寛容になった気がするよね。思えば、ここが流行りの第一関門であって、まず誰かが誰もしていないことを始めた時、その奇抜さ、かっこよさ、便利さに惹かれて流行ってスタートするのであって、保守的な人々がそれに対して反発したりして流行は大きな渦となっていくんだな。流行の死ぬ時ってのは、消えていく時ってのはそれが人々に飽きられた時である。そうやって、ルーズソックスもチョベリバもクイズショーバイショーバイも死んでいったのだけど、死ななかった言葉たちよ、物々たちよ、つらい世の中の淘汰の嵐、試練に打ち勝ってよくぞ生き残ったねと思うと、これけっこう涙ぐましいことなんである。
それでハマるという言葉は常套句になりつつあって、けっこう老若男女、つかってる。ハマるの代用句みたいに生まれたマイブームてな言葉が先日、慶応義塾大学病院で息を引き取ったそうである。2000年代後半に入り、著しく病状が悪化していたそうである。故人を懐かしむように、そんなことも言ったねえ、なんて僕らは酒の席で話したりするのだけど、ええい、いつまで続くのか使用期限の見えない流行語たちに早くも哀悼の意を捧げたい。そうしてやはり、見えぬ使用期限に追われた普遍以外のすべてのものへ僕は生きている間に惜しみなく愛を与う。そんな阿呆の子守唄だコンチクショー。
最近、「シグルイ」という漫画を読んでいるのだけど、これ滅茶苦茶面白い。無茶苦茶面白い。滅茶滅茶面白い。無茶無茶面白い。なんで苦茶苦茶がないんだ?めっちゃおもろい。むっちゃおもろい。くっちゃおもろいが何故ないんだ?まあいいか。とりあえずおもろい。どういう話かというと、江戸時代のね、サムライの話なんだけどね。その中にこんなセリフが出てくるんだな。
「奪わんとするならば、まず与えよ」
って、これ別にキリスト教でも相田みつをでもなく、モチーフは孫子の兵法らしいのだけど、これって僕は真理っぽくて好きなんだにゃあ。突然猫。なんつうのか、慌てる乞食は貰いが少ないって感じがするんだよね。そうなんだよな。呉れ呉れ言ってると、人って何も呉れないもんで、いいんですよあっしは、あの人の方が貧乏だからさ、旦那、一つあいつをあっしだと思って恵んでやっておくんなせえ、て与える人間の方が最終的に実は得をする。まあ、そういう風に世の中って出来てんだね。不思議だね。で、賢い人間てのはそこんとこを理解していて、計算ずくで与えることができる。この言葉の特徴ってのはそこんところで、無欲になれって宗教的なことを言ってんじゃなく、結論として奪うことが目的ってことで、そこんところシビアでいいよね。やっぱり兵法だからね。
自分なんか阿呆なもんで、奪おうと思ったらもろに奪いに行って、太陽と北風の北風?みたいなことになっちゃうん。そいで困っちゃうん。そういうことがよくあるん。
で、まあそんなことを考えていて、ふとあることに気付いた。ってのはつまり、こっから表題の阿呆の真説に突入していくわけだけど、いいですか?いいですか?突入しますよ。いいですか?阿呆になりますよ?それでもいいですか?阿呆の兵法、門松立てた。
つまりね、僕はこう思ったわけだ。真説って、たいがい逆説だと。パラドックス。って、すぐに横文字使いたがる阿呆がよくいるよね。いやしかしマジな話、これは結構そうなんだよね。もし今あなたが堕落しちゃって堕落しちゃって困ってるというのなら、堕落から抜け出そうとせず、とことん堕落してみればいいのである。いや、実はさ、正味の話、堕落して、反省してちょっと上向いたらまた堕落してってなことを繰り返していると、それは全く移動できていないんだけど、これでもかと堕落に徹すれば、とにもかくにも移動だけはするわけで、堕落から抜け出すことは出来るのである。?って何を言っているか解らないかもしれないが、押してダメなら引いてみなって言葉があるように、真逆のことをするとうまくいく場合が人生には多々あるのである。どんなトリックなのか知らないが、そう仕掛けられているのだ。そして、これを笑う人がいるかもしれないが、その真逆に「敢えて」舵を切ることって、実はすごい勇気のいることなんだな。その勇気を得た時点で、事態が自然と上向くってことはこれごく自然に考えられることなのだ。別に堕落に限った事じゃなく、ね。
とまあ、そんなことを昨日と一昨日と今日と、合わせて2時間半ぐらい考えてたんだけどね、どうだろうね。この時間が有効なのかどうなのか、そこんところ確認してみたいんだけど、117に電話すればいいかしらん。そりゃ時報だね。費やした時間の有効性までは教えてくれんね。そんなことはいくら阿呆でも知ってるのだよ。常識ってやつだね。そうだね。というわけで、また来週。
節分ですね。切ねえですね。ブンブンいってた頃が懐かしくてですね。節分ですね。
バイトしているスーパーの寿司部で、恵方巻きを2000本くらい作ったんですがね。僕はそのための米を昨日と今日の二日間で1トンくらい炊いたんだよね。リアルな話。1トン消費するんだなあ。この町で。砂糖と塩を調合して酢を沸かすんですがね、俺の体が酢になったよ。シャリロボっていうね、KUBOTA、ほらよく農業用の機械作ってる会社があるでしょ。あそこで出してる自動酢調合マシーンを駆使してブンブンやったんですが、やっぱ切ねえっすね。みんな、無言で食べられちゃうのかと思うと。
この恵方巻きってやつがいつ頃流行り出したのか、僕の記憶は定かじゃないんだけども寿司部のパートさんに聞いてみたら、なんか海苔作ってる会社が海苔の消費を増やすために仕掛けたことらしいね。情報がアバウトなんだけどね。道理で金の匂いがするはずなんだ。おかしいもん。豆まきが衰退したでしょう。僕は節分になるといつも言ってるけど、豆まきってあんな面白い文化ないのにね。鬼のへそに豆を当てるんですよ。やるべきですよ、断然、豆まき。鬼は嫁、とかやや後退しつつある鬼嫁ブームに乗っかったりね。ヘイ旦那、面白すぎでしょ。引き波食らってるぜ。
で、今日のテーマは「誰かが仕掛けた」ってことなんだけど、ブームってのは当然仕掛け人がいる。仕掛け人のいないブームなどなく、世の中に何かが流行ったとき、そこには必ず火つけ役がいるわけだけど、以前あった納豆ブームあるでしょ。ほら、スーパーからコンビニから、小売店からイオンまで、商品陳列棚から納豆が消えた事件。なにもいまさら引き合いに出すことはないんだけど、あれ、僕は未だに思い出すと憤りを感じるんであって、あの時僕は土方をやってたんだけど毎朝納豆食ってたんだな。ところがある日、近所のスーパーでいつもの納豆買おうと思ったら売ってねえんですよ、姉貴。ひとっつも売ってねえんですああ。あったまきたね。いつも買ってるものがいきなり買えなくなると、頭くるんだね。ヘッドカムだね。それからしばらく納豆が買えなかったんだけど、そんなある日、僕が組んでいるパンクロックバンドがライブに出演することになって、僕は思うがままに「納豆食えねえ」って歌を熱唱した後、対バンで出演していたガールズバンドを見ていたんだな。対バンっていうのは一緒にライブやろうぜって誘ったわけじゃないんだけどライブハウスの商業的諸事情で一緒に出演することになったほかのバンドの事なんだけどね。そのバンドのボーカルがMCでこんなことを言ったんだ。
「あたし、納豆騒動に騙されちゃいました!せっかくあの時、お母さんとスーパー行って、ありったけの納豆を買い占めたのに、テレビって本当にひどいですね!」
僕はもうね、百年目の敵を見つけたみたいな顔をしていたと思うな、その時。その後、悲しみがどっと押し寄せてきて、ライブハウスの天井を見つめながら、納豆に縛られた自分の人生を呪ったね。粘々していたのは僕の方だった、だった、だった、だった、ってフェードアウト。
そいでもって今現在、その誰かが仕掛けるブームの誰かになろうとしている僕は、どんなブームを起こそうか考えてんだけど、どうだろう、もう一回納豆ブームってのは。真説は逆説。流行るわけないものこそ、いま目をつけるってのはこれ素晴らしき発想の転換かな。くふふ、笑ってしかし、納豆の作り方を知らないんだ僕は。けどあれだ、出来るだろ。だって大豆を腐らせりゃいいんだろう?って手をつけたものの、なかなかうまくいかない。そうだ、納豆菌だ。納豆作るためには納豆菌が必要なんである。WHERE納豆菌。求む納豆菌。ワラ、ワラ、ワラワラワラワラ。ああ!ワラで人をワラワラさせたい!しかしくっそう、ワラがねえ。土台、今時代になかなかワラなんて手に入らないんだよ。せっかくチャンスなのに、ブームがそこで待ってるのに、くっそうって、そいでもう嫌になって、うああ!って大豆をブチ撒いたら、やっぱ豆まきって楽しいじゃん?みたーなことにならんかな、と思ってるんだけどね。流行らんかな。流行らんかな。そんな豆まき。流行らんかな。
えー、寒くなってまいりました。今朝はほんと寒かった。寒波カパーンて、感じですよねえ。カンパカパーン。
灯油の減りが早くてね。
大昔、灯油がなかったころの生活ってどんなだったんでしょうね。学校で習った歴史で大昔の事もある程度知ったつもりになっているけど、実際そんな生活を体験したわけじゃないから、例えば平安時代の人々は冬、どんな感じだったんだろうね。凍えるだろうなあ。絶対凍えるよ。布団だってマシなものないでしょう?トイレは家の中になかったわけだし、水道ももちろんないし、あ、ところで知っていましたか?十二単って、あれなんで十二枚も着重ねているかっていうと体臭を隠すためらしいです。昔は風呂に入る習慣がなかったからね。厚着して臭いをごまかすしかなかったんだな。
いや、それにしても灯油があって良かった。灯油のある時代に生まれてよかったって思うんだけど、これ不思議なもので、あと100年もしたら、その時代の人々は「100年前は灯油なんて不便なものを使っていたそうだから、いや今の時代に生まれてよかった」なんて言っているかもしれず、じゃあその時代はどんな環境になってるだろうね、ってこんなこと考えるの楽しくない?つまり、未来を考える。
僕は現状が最上級に便利だから満足できているわけだけど、これ以上の便利を知ってしまったら、今の便利では満足できなくなる。50年前だったら扇風機で満足出来たけど、今は冷房がなきゃ満足できない時代なわけだ。じゃあ、100年後にある満足って何だろう?想像してみようじゃないか、100年後の街角を。
おそらく、電柱はないね。電気はあるだろう。でも全部地下ケーブル化しているはずだ。それはもう進んでいることだからね。車も当然のように完全電気自動車化しているだろう。きっとまだ空は飛んでいないはずだ。事故が多発しているだろうね。何故なら、電気自動車は音がしないからね。プリウスよ。あれ、エンジン音が聞こえないからスーッと発進しやがって、僕は危うくひかれそうになったことがあるんだよ。考え物だよ、あれは。
家の形はどうなっているだろう?瓦がなくなるんだろうなあ。悲しいなあ。瓦なくなっちゃうのかよ。日本が失われてゆく気がするなあ。というか、待てよ。100年後、日本は日本なんだろうか?日本が日本じゃなくなっている可能性も大きくあるな。しかし、まあそれは置いといて、100年後の街角だ。服装はどうだろうか?ああ、今そこらへんで売ってるリーバイスがヴィンテージになってるかもしれんなあ。100年後の子孫のために3本くらいサラで買っとこうかなあ。それとも、ジーパンなんか履いてないかな。Tシャツはなくなってほしくないなあ。みんな、ピチッとしたもの着てそうだな。言葉はどうだろうか?通じるんだろうか?なんだか不安になってきた。冬の寒さはどうしてるんだろう?家から出ないかもしれないなあ。便利になるって、究極は動かなくなることだからね。動かないってことは運動不足だから、それを解消するための道具や薬も出来ているだろうけど、嗚呼、100年後には冬の寒さは関係ないものになるのかもしれない。夏も冬も快適な時代になっているのかもしれない。それって寂しいなあ。
やっぱり僕は、時代にふさわしく今が一番満足できる環境なのかもしれない。なんだか、そう思うとポリタンクを持って灯油を買いに行くのも面倒じゃなくなってきた。ううん、不思議だなあ。過ぎてもダメ、足りなくてもダメ、ちょうどいいって、どの時代にとってもきっと、その一瞬一瞬なのかもしれない。うん、きっとそうなんだろうな。
というわけで、とりあえず今日も寒いんだ、宮崎は。宮崎でも。
アイワナビー溢れ井戸。
イッツ、そう、ロングタイム。ロングタイムでお願いします。
キャー、洪水。お庭が洪水。
ってね。
なにが、ってねだ。自転車の/カゴからわんと/はみ出して/なにか嬉しい/セロリの葉っぱ、てなもんだ。恐れ入ったか。ギャー、洪水。巣穴は魔のランチだ。間違った。砂浜のランチだ。カンチューハイ2本だ。馬鹿野郎、コンチクショウ。俵万智さん素敵だなあ。
うちの子は/甘えんぼうで/ぐうたらで/先生なんとか/してくださいよ
先日、電話で親父と話したら、親父が「おお、おめえよう!」と言うので、「なに?」と聞き返したら、「おお、おめえよう!・・俺は、短歌はじめようと思うんだよ」と言うので「いいじゃない」と返した。
「ええっと、短歌はなんだっけな・・。5・7・5か?」
「そりゃ俳句だよ。そんなんも分からんで短歌やるの!?」
「今から始めんだよ」
「そうか。短歌は5・7・5・7・7だよ」
「ブツブツ・・」
「聞いてる?」
「短歌ってのは、難しいよなあ!」
「そうだねえ。でも短歌はいいよ」
「おう。それじゃあな」
一体、何の電話だったんだろうか。
しかし、まあ、親父が短歌をやるというので、自分も最近、短歌をはじめたんだ。
とりあえず、一首書いてみたんだけど、いい塩梅のが浮かんだ。で、どうだ。ここに発表しようと思ったんだけど、ちょっと過激すぎたので控えておく。代わりに新しいのを考えてみることにした。
最初を、2月野郎、で始めようと思うんだ。2月野郎、いきなり字余りだけど進めてみよう。2月野郎、どこ行ったんだ、こんちきしょう、って、まあここら辺いい感じだね。2月野郎ってのは、2月に失敗をした人の、時間への責任転嫁の言葉なんだけどね。2月を無駄遣いした人の心の叫び。
2月野郎/どこ行ったんだ/こんちきしょう。なかなかいいな。我ながら良い。って、ああ、混ざっちゃったよ。ついつい詠んじゃったよ。
2月野郎/どこ行ったんだ/こんちきしょう。と来たら、やっぱり次の一句は、3月野郎、しかないと思うんだよ。問題は3月野郎の次の句なんだけど、どうしようかな。最後の句だあね。
何がいいかなあ。
これ、文字だから読者の皆さんには伝わらないかもしれないが、何がいいかなあ、ってのは僕の心からの言葉であって、僕はふざけていない。事実、何がいいかなあ。と書いてから、僕は今、パソコンの前で10分くらい思案しているところなんだけど、嗚呼、また灯油が減ってゆく。
しかしあれだね。野郎とかこんちきしょうって言葉はよくない。今さらだけど。ちきしょうってのは畜生であり、家畜の事だからね。つまり、あれだ。仏教でいう畜生道ってやつだね。人間は死んだら、そこから道が6本あって、良い順から天、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄ってあるわけだけど、畜生は4番目だからね。この言葉は悪い。まあ最近は、人間よりいい暮らしをしている犬や猫がいるけどね。直そう。
2月野郎は、2月さんでいいと思うんだ。ちょうど5文字だし。問題は、こんちきしょうを何に置き換えるかだな。
2月さん/どこ行ったんだ/・・こんちきしょうに代わる言葉ってあるだろうか?お澄ましさんかな。
2月さん/どこ行ったんだ/このお澄ましさん。
うん、急ごしらえにしてはなかなかいい。どうだ、この調子で3月さん。
2月さん/どこ行ったんだ/このお澄ましさん/3月さん、と来たら、ここは率直に、追いかけてくる、なんかでいいんじゃなかろうか。
2月さん/どこ行ったんだ/このお澄ましさん/3月さんが/追いかけてくる
出来た。
なかなか味わい深い歌じゃないか。満足だ。あとで、どこかに投稿しとくかな。この一首を考えるのに、1時間ばかしかかってしまったよ。
それじゃあ、また来週。