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手元の携帯電話を見ていて、ふと思う。「今使っているのは何台目だろう?」
はじめて携帯電話を持ったのは、高校3年の冬だった。忘れもしない、ドコモのDシリーズで、当時はパカパカなる異名を持っていた前面扉式のモデルだ。カラー液晶が出始めた時で、自分が使っていたのはその最初期のモデルだったと思う。それからたしか1年ほどで故障して、別の機種に代えた。
2台目は、同じくドコモの防水ケータイだったと思う。これは、auが出していたカシオのG-SHOCKシリーズを追随して、ドコモが遅ればせながら出したアウトドアモデルだったけど、アンテナが折れやすいという致命的な欠点を抱えていた。やはり、2番煎じはこんなところで詰めが甘いのだろう。2回修理に出したが、3回目も、ポケットに入れているとアンテナの頭がころりともげ落ちるという醜態によりチェンジ。それでアウトドアモデルと言えるのか!?と悪態をつきつつ、自分はauに乗り移ったのであった。
その後、数年auの機種を愛用したのち、やっぱりドコモのファミ割がお得だってんで、もう一度ドコモに乗り換えて、愛用すること数年。去年また、自分はauにしたのだけど、これも料金関係で考えた末の変更だ。
現在は番号ポータビリティー制により、以前より、会社変更の抵抗はない。料金を考えて、随時自分にあったプランを活用するというのが利口な方法だろう。今後は、この会社間の壁がどんどん取り払われて、どこの会社の機種でも、好きな会社と契約できる、つまり、ドコモのケータイだけど、契約してるのはau、みたいなことが可能になると新聞に書いてあったが、それは大いに結構なことだと思う。
そんなわけで、今自分が使っている携帯電話が何台目なのか、数えてみたのだけど、おそらく9台目になるということに今さらながら気づいた。9台かあ。意外と機種変更をしていたんだなあ。そのほとんどは故障が原因だったと思うから、よっぽど自分の使い方が悪かったのだろう。番号も2回変更した。前2回の電話番号はもう思い出すことができない。ケータイと付き合い始めて10年。なんだかんだで色んな事があったなと振り返っている。
自分withケータイ。この10年で、記憶に残っている最も印象的な出来事は、やはり「マンゴクさん事件」だろうか。
今の電話番号を使い始めて、7、8年になるが、この番号を使い始めた頃に、頻繁に間違い電話がかかってきた。それは仕事中でも休日でも、睡眠中でもおかまいなくかかってきて、かけてくる相手はその都度違う。若い男の声だったり、年配の女性の声だったり、中年の、いかにもおじちゃんという感じの声だったりと、声から察する限り、まあ色々なタイプの人から電話がかかってきた。
最初は、何故こんなに間違い電話がかかってくるのか不思議でならず、「もしかしたら、自分と1ケタ違いの番号の人がめっちゃ顔広いのかも?だから、1ケタ間違えて自分にかけてきちゃうのか!?」とか思ったが、それにしても数が多すぎる。1週間に1本の割合でかかってくるのだ。訳が分からず、自分は首をひねるばかりだったのだが、ある日、自分は、その間違い電話に共通点があることに気づいた。
間違い電話をかけてくる人というのは、いくつかパターンがある。いきなり要件から話し始める人、声を聞いて「間違えました」と切る人、自分が名乗ってからこちらがしゃべり始めるのを待っている人などだが、中には最初に「こちらは○○さんの携帯電話ですか?」と丁寧に聞いてくる人もいる。その場合、自分は即座に間違い電話だと了解できるので「違います」と答えるのだが、どうもこの○○さん宛にかかってくる電話が多い。どうやら、自分に間違い電話をかけてくる人は皆、この○○さんという同一人物にかけているつもりらしい、ということに気づいたのである。
なんだ?じゃあ、やっぱり1ケタ違いの説が正しいのか?とも思ったが、やはり数が尋常ではない。おかしい。
その○○さんだが、電話をかけてくる人は自分に対し、「もしもし、マンゴクさんですか?」と聞いてくるのである。或いは、「あれ、マンゴクさんじゃないんですか!?」みたいな。
自分はそれに対し、ひたすら「違います」と答えていたのだが、「マンゴクさんて誰なんだろう?」という疑問が、次第に自分の中で大きくなっていった。本来の自分宛の電話より、間違い電話の方が多く感じたほどだ。そんなに色んな人から電話がかかってくるマンゴクさんって一体どんな人なのか、そりゃあ誰でも気になるところだろう。
さて、この間違い電話が多いわけは、しばらくして原因がわかった。どうやら、電話番号のリサイクルに問題があったらしい。当時、携帯電話の契約数が急激に増大し、090局に加えて080局が出始めた時期だったのだが、自分が買った番号は090局で、これってのが、以前誰かが使っていた番号を電話会社がリサイクルして使い回しをしていたらしいのである。今でもそうなのかもしれないが、電話番号には数に限りがあるので、契約が切れて一定期間を置いた番号というのは、また普通に市場に出回るそうなのだ。自分が買った番号と言うのは、どうやら数年前(数ヶ月前?)までマンゴクさんという人が使っていたらしく、マンゴクさんがその番号をやめたのを知らない人達が、自分に間違い電話をかけてくるのらしかった。
明るくなった間違い電話の理由と、次第に浮き彫りになっていくマンゴクさん像。ここまで来てしまえば、はっきり言って一種の謎解きである。マンゴクさんのことがもっと知りたくなった自分は、段々と間違い電話に出ることが楽しくなってきた。
というのも、間違い電話をかけてくる人は何かしらマンゴクさんについての情報を落としていく。そのピースをつなぎ合わせていく知的快感の日々。退屈な時などは「間違い電話、かかってこないかなあ」と思っていたほどですらあり、マンゴクさんというパズルが完成する日は近いかに思えた。ここまでの段階でマンゴクさんについてのプロファイリングは、以下のような形まで進んでいたのである。
・50代~60代
・男性
・関東住まい(東京?)
・老若男女に知己が多い仕事(中間管理職?)
・人当たりがいい、紳士的
・ずぼらな面がある
・独身?
etc...
頭の中で作り上げられていくマンゴクさんのイメージは、日に日に緻密になっていく。そんなある日、いつものように間違い電話をかけてきた一人の男性が、重大なヒントを落としていった。彼は、自分に対して、こう問うてきたのである。
「もしもし、歌舞伎のマンゴク先生でいらっしゃいますか?」
歌舞伎!?どうやら、マンゴクさんは歌舞伎関係の仕事をしているらしい。なるほど、道理で言葉遣いのしっかりした相手が多いはずだ。きっと、上下関係がしっかりしているのだろう。しかも、先生だという。え?もしかして歌舞伎役者??
「違います」と答えると、相手は「あ、すいません」と言って、すぐに電話を切った。
「マンゴクさん。仕事は・・・歌舞伎関係っと」自分は独りごちてから、おもむろにパソコンを起動させ、ヤフーのトップページで「歌舞伎 万国」「歌舞伎 萬国」「歌舞伎 万石」と検索してみた。ダメだ。出てこない。
また或る日、こんな電話があった。初老と思われる、ちょっとしわがれたハリのある声の主が、威勢よくこう聞いてきたのである。
「三遊亭○○ですけど、マンゴク先生ですか?」
一応言っておくけど、これは実話である。とある落語家が、自分に間違い電話をかけてきて、歌舞伎の先生ですか?と問うてきた。「いや、違います」と答えようとした自分が、その出来事のおかしさについ笑いを堪え切れず、「ひやっ、違います」と言ってしまったのは余談である。
その後、結局、マンゴクさん事件は終息に向かい、間違い電話の数は減っていく。一体全体、マンゴクさんって誰だったのか?と問われれば、上に書いたプロファイリングを当てはめた歌舞伎役者で、おそらく外れていないだろう。というか、歌舞伎という時点で、人は絞られているのだ。真剣に探せば、すぐに見つかる。けれど、見つけたところでどうしようもない。想像して楽しんでいるうちが華だろう。
自分にかかってきたマンゴクさん宛の最後の電話は、彼のファンらしきおばあさんからのものだった。自分はその時、当時勤めていた建設会社にて仕事中で、スコップ片手に土方作業をしていた。おばあさんは、気品を感じさせるおっとりとした声の持ち主で、言葉づかいもきれいな標準語を流暢に話していた。
「もしもし、マンゴクさんですか。先日は、大変お世話になりまして、どうもありがとうございました。あの、私、マンゴクさんの舞台を拝見させて頂いて・・」
途切れなく進む言葉にそのまま聞いていたい気持ちもあったが、長くなりそうな気配を感じた自分は、話を遮って言った。
「いえ、すいませんが電話番号をお間違えになっていますよ」
「あら、そうですか。すみません、私ったら、ごめんなさい。失礼致しました」
歌舞伎役者というぐらいだから、やはりマンゴクさんはハンサムなのだろうか。おばあさんの声が弾んでいた。電話を切り、そんなことを考えながら軍手をして、スコップを握り直すと、今ポケットに突っ込んだばかりのケータイがまた鳴りはじめた。
「もしもし、マンゴクさんですか。先日は、大変お世話になりまして、どうもありがとうございました。あの、私、マンゴクさんの」
「いえ、間違えてますよ」
同じおばあさんからであった。間違い電話を連続でかけてしまうことは時々ある。自分も過去にやったことがある。おばあさんも慌てていたのだろう。
「あら、本当?ごめんなさい」
電話を切って、ポケットに入れ、軍手をして、スコップを握り直す。さきほどから先輩がショベルカーで土を掘っている。早く作業に戻らないと、怒られてしまう。しかし、またもポケットから呼出音が鳴るではないか。画面を見てみると、さっきと同じ電話番号だ。いぶかしく思いながらも出てみた。
「もしもし、マンゴクさんですか」
「いえ、ですから違いますよ。この番号はマンゴクさんの電話番号じゃありません。マンゴクさんはもう、この電話番号を使っていませんよ」
よほど納得がいかないのか、「・・おかしいわね。なんでマンゴクさんじゃないの?どういうこと?」と言うのだが、そう言われても、自分はマンゴクさんじゃないのだから分からない。
その後、この人はなんと16回連続で自分に電話をかけてきた。ケータイの受信履歴がこの人の電話番号で埋まったほどである。呆れて電話に出ないと、数回にわたり長々と留守電に録音が残され、いつの間にか満杯になっている。そして、言い足りなかった伝言を残すために電話を鳴らし続けた。最後に出た時など、向こうから電話をかけてきたくせに無言でいて、こちらが「もしもし」と喋ると、「また違う」とだけ言ってブツッと切る始末。
先輩に話すと、「そりゃあお前、そのばあさん呆けてるぞ」と言っていたが、おばあさんにしてみれば、今までマンゴクさんにつながった電話が、つながらないというのが不思議でしょうがなかったのかもしれない。いや、というか、マンゴクさんから電話番号変更の知らせを受け取っていないということは、それ相応の理由があるはずで、もしやマンゴクさんも呆れたのではないだろうか。頼むぜ、マンゴクさん。
すったもんだで、最後の最後までマンゴクさん像を作り上げてくれた間違い電話。それ以来、マンゴクさんへの電話は受け取った覚えがない。
あれからもう4年が経つが、マンゴクさんは現在、どうしているのだろう。見たことも、声を聞いたこともない人を心配するというのも妙な話だが、元気に歌舞伎を続けているのだろうか。あのおばあさんは、マンゴクさんにちゃんとお礼を伝えられたのだろうか。そんなことを考えると、それに付随して当時の自分の生活も同時に思い出され、一人暮らしをしていた部屋なんぞが頭に浮かび、どうもしみじみしてしまう。
手元にある折りたたみ式のケータイを開くと、いつもと変わらぬ待ち受け画面。あと一体、自分はどれだけケータイと付き合うのだろう。それは寿命の分だけ続くのだろうか?
「ケータイは冥土の旅の一里塚、なんつって」
プカプカと魚が空を泳いでいる絵の待ち受け画面を眺めながら、10台目のケータイはどんなのになるんだろうとぼんやり考えた。