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先日起こったニュージーランド地震によるビルの倒壊で、富山外国語専門学校の生徒、講師23名を含む多くの日本人が巻き添えを食った。
未だ27名の日本人が安否不明だというが、助かった生徒の話によれば、グラグラっと建物が揺れた後、急に床が抜け落ちたのだという。ビルの設計に問題があったと報道されていたが、急に自分の立っている床が抜け落ちる恐怖というものはどのようなものなのだろう。想像できない。
その後、富山に住む友人から電話があった。友人は、英語を勉強するために学校に通っている、と以前聞いていたので、「そういえば、ニュージーランドで地震があって富山は大変だね。あの学校、知ってるの?」と聞くと、「それは今、自分が通っている学校だよ。自分は今、富山外国語専門学校に通っているんだ」と言う。
まさかの返答に「ええ!?」と言ったきり、しばし言葉を失ってしまったのだが、友人の話によると「ニュージーランドに留学していた生徒は、自分とは違うクラスの生徒たちだったから自分は日本にいて無事だった」とのこと。周りから大変心配され、「大丈夫なの?」「日本にいるの?」といった連絡が頻繁にあったという。
「自分はあの日の昼に学校が終わったんだけど、夕方から取材がたくさん来て、授業が取りやめになったりして大変だったみたい」と語っていた。被災者の中には、中学からの後輩もいたらしく、同じ部活に所属し、親同士も仲が良かったからショックだと話していた。
自分もまさかそんな身近に関係者がいるとは思っていなかったから、それまでインターネットのニュースでしか知らなかった事柄が、一気に自分の目の前まで迫ってきたようで動揺した。
遠地で災害が起こるたびに、自分はいつも安全な場所にいて、これといった事件や事故に巻き込まれることなく過ごしてきた。新燃岳の噴火にしても、その空振と火山灰を少々経験しただけで、現地の人間が悩まされているような火砕流や噴石とは無縁である。
地元関東でも、大地震が近いうちに来る、などと言われながらも、今までのところまだ起こっていないし、そういった災害を明確にイメージしようとしても、その時一体どんな事態に陥るのか、いざというときの準備は心許ない。
「いつまでもあると思うな親と金」という有名な言葉がある。その下の句はあまり知られていないが、こう続く。「ないと思うな運と災難」。
「災害は忘れた頃にやってくる」とも言うが、自分にはその“忘れる”ような経験すらない。全くこれまでの自分の人生は、災害に対して無防備であったと言わざるを得ない。しかし、次、いつ自分の元にやってくるか分からない災害への備え、その時に自分の出来ることを確認しておく必要がある。特に自分が住む宮崎の海岸沿いは、その近海で地震を起こせば、すぐ津波の恐怖に襲われる。その時、どのような行動をとるか、日々イメージしておくことは大切だ。
実は今お世話になっている先生の家族も、元々は神戸に住んでいた。だから、16年前の阪神・淡路大震災を経験している。
先生から震災の話を何度か聞かされたが、関東に住む自分がテレビや新聞のニュースで知っていた情報と、現実に被災現場で生活していた先生の話は、内容が大きく異なっている。「ニュースというのは報道規制がかかるから、実際には伝わらない事件が多くあった」と先生は話していた。
ここには書きづらい話もたくさん聞かせてもらったが、いくつか挙げさせてもらえば、被災現場に流れるデマというものがある。
かつて、関東大震災が起こった時に、「朝鮮人が井戸に毒を入れて回っている」というデマが流行し、関東各地で朝鮮人の虐殺が行われた。流言を信じ込んだ日本人が自警団を組み、道々にいる人々に「15円50銭と言ってみろ」と問いかける。朝鮮語には語頭に濁音の発音がないので、15円50銭を「ちゅうこえん、こちゅっせん」と発音してしまう。これで自警団は、日本人と朝鮮人の区別をつけ、15円50銭を発音できなかった無実の朝鮮人(その中には方言を使う上京者や聾唖の日本人も含まれていたという)を集団で暴行し、虐殺した。これは大正時代の話である。
しかし、先生は阪神・淡路大震災の時にもデマが流行していた、と話す。まさか現代社会でそんなことが・・と思うのだが、被災地は水、電気、ガスといったライフラインが切断され、正しい情報も速やかに入ってこない。そこで情報のやり取りは自然、人と人を介した口コミになる。大勢の人間が集まる避難施設を介し、その口コミの中でデマが発生したようだ。
いわく、「○○区でイラン人4,5人が女の子を暴行している」という流言。
これに反応した人々が自警団を作り、「○○区でイラン人が女性に暴行を繰り返しているそうだから、みなさん十分に気をつけてください」と施設にて注意が促され、パトロールを始め、外国人に対して警戒するようになった、というのである。先生はそれに対して強い疑問があったので、直接警察署に赴き問い合わせると、そんな事件は一つも報告が入っていないということだったそうだ。それでも避難施設間では、デマがまるで真実のように流れていたのである。
また、地震発生から数日して、家の近所で男たちが10人ほど集まり、何か話しごとをしている。何かと思っていたら、少しして男たちは誰もいないコープの窓ガラスを割って中に侵入し、店内の商品を集団で奪っていったそうだ。その男たちは、普段挨拶を交わす近所のサラリーマンであったという。
避難施設には、新品の毛布の支給もあったそうだ。しかし、人数分用意したはずの毛布がどういうわけか足りず、行き当らない人が何人もあった。おかしいと思いながらも日が過ぎ、震災から町が復興し始めた時に、町々の至る所で震災のゴミが堆く積み上げられた。その中に、まだ新品の毛布が何枚を捨てられていたのだという。それで、あの時毛布が足らなかったのは、一人で何枚も毛布を持っていった人間がいたからだと気づいた。「家族がいるから」「1枚じゃ寒いから」「念のため多めに貰っておこう」、そうした理由で複数枚の毛布を持っていった人間がいて、そのせいで一枚も毛布の当らない人々がいた。そしてそういった毛布の多くが、結局使われずに新品のまま捨てられていたのだそうだ。
「地震の報道では誰それが亡くなったという話や、こういう救助物語があったという感動話が多く流れ、美化されていた印象が強いが、実は裏側でこんな悲惨なことがたくさんあった」と先生は話していた。公民館には死体が山のようになり、その横で人が寝ていたそうだ。
災害時に、自分はどう動けるだろう。どう動かなければいけないのか。体力を失い、感情がマヒし、全てが漫然となってしまうかもしれない。災害を考えた時、ついその対処法や逃げ方、避難道具といった目の前のことばかりに気を取られがちだが、その後、崩壊した町での生活もどこまでカヴァーできるか。今回の友人からの電話で、それを改めて思わされた。
遠いとか近いとか、本当はそんなこと関係ないのかもしれない。それをわが身に置き換えることもせず、ただ悲惨だと呟くばかりだった自分を戒めなければいけない。日常が非日常に急転する瞬間。パニックに次ぐパニック。失われやすい人間の倫理と尊厳。災害とは本当に恐ろしいものだ。