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20120730

源学5 お経の意味

【カテゴリ:日常】

現在、日本で最も有名なお経はなんでしょうか。宗派によって答えが違うと思うのですが、僕の実家は真言宗なので、真言宗で最もスタンダードな般若心経を引き合いに出してお話ししましょう。
般若心経は「色即是空空即是色」の一節で有名です。少し前にみうらじゅんさん原作の『色即ぜねれいしょん』という映画が上映されましたが、色即是空とは一体、どういう意味なのでしょう。大辞泉によると、「この世にある一切の物質的なものは、そのまま空(くう)であるということ」とあります。
現在、般若心経について多くの現代語訳、解説本が出ています。有名なところでは瀬戸内寂聴さん。詩人の伊藤比呂美さんも出版しています。芥川賞作家で僧侶でもあられる玄侑宗久さんも般若心経の本を出されています。またお笑いコンビ「笑い飯」の中西哲夫さんも2009年に「えてこでもわかる 笑い飯哲夫訳 般若心経 (ヨシモトブックス)」という本を出版しました。
なぜ、これほど多くの訳本が出ているのでしょうか。というのは率直に言って、般若心経の訳に答えがないからでしょう。
翻訳というのは、お経に限らず英語などもそうですが、個々人の感じ方に左右される部分が多少なりともありますから、それぞれどう読むのかというのは自由です。ああ読む人もいれば、こう読む人もいる。
般若心経だけではありません。お経というものはなべてそういうものであり、実際のところ、お経の意味を正確に理解しているお坊さんが日本にどのくらいいるのでしょうか?つまり般若心経を書いた人の心情を百パーセント掴んで、お経を読んでいる人がどのくらいいるのか?不遜なことを言うようですが、おそらくいないでしょう。
般若心経というのは、「仏説」という言葉から始まります。仏様が説きました、というわけですが、それならば、本来の意味は一つしかないはずです。ところが、言葉というのはあやふやで、受け取り手の解釈でいくつも意味が生まれてしまう。これが正しいというものはなく、どこかにその人独自の解釈が入ってしまうものです。その結果、人によって言っていることが違うという事態が生じてくる。これは後世の人間からしてみれば、何とも心許無いことです。
そんなわけで我々は、般若心経を漢語の音訳で読んでいます。なるべく原典に近い雰囲気で読んでいる。しかし、今度はこうも思います。言葉の意味が分からないお経を毎日毎日唱えることに、どんな意味があるのか?きっと仏教に関心を持った人ならば、誰しも感じる疑問ではないでしょうか。お経に何の意味があるの?と。
以前、鹿児島にある真言宗のお寺で10日間、お堂に入って修行体験をさせてもらいました。その時、水行やお百度参りといった修行をさせてもらいながら、何度も般若心経を唱えました。一日に百回二百回と般若心経をあげるのですが、それを唱えている自分というのは、おかしなもので般若心経の意味など全く分かっていない。ですから、「ぎゃーてーぎゃーてーはーらーぎゃーてー」と何度も言いながら、頭の中では「はじめ人間ギャートルズ」がボワンと出てくるわけです。「これは…ギャーからの連想?」って、とてもお経を読んでいるとは言えない。一体、その行為に何の意味があるのか分からず、お坊さんに質問しました。
「お経って何の意味があるんですか?」
すると、こういう答えが返ってくる。
「これは昔の人のありがたい言葉だから、その意味を知りなさい」
ここで、冒頭の翻訳の問題に戻るわけです。
おかしな話です。それならまだ、アントニオ猪木さんの「馬鹿になれ馬鹿になれ」を何べんも唱え続けている方がよっぽど有用な気さえしてきます。というか、お経というものはそうあるべきじゃないか、と思いました。常に現代語訳を読んでいればいい。皆に分かる言葉でもって唱和せねば意味がないじゃないか、と。言葉の意味を追求するのだったら、例えば、瀬戸内寂聴さんの現代語訳を毎日唱和していた方がいいじゃないですか。
でもお経というのはずっと変わらず、マカハンニャハラミッタなんですね。これは不思議なことです。そこで考え方を変えてみる。お経って、読んでいる文言に意味があるのではなく、毎日唱和する(同じ声を出す)ことに意味があるのではないか。
こんな話を聞いたことがあります。
毎朝お経を唱えている人は、自分の発する声で、その日の体調が分かるようになる。「いつもと声が違う」その微妙な変化で機微を知ることが出来るようになるそうです。
なるほどと思いました。それならば、お経をあげる意味ってすごくあるわけです。
また、お腹から声を出してお経を唱えることで、体が整っていく。つまり、整体的な効果もあるといいます。すると、自然と精神を集中できるようになるし、そういう意味でのスイッチにもなり得る。
お経の合理的な意味合いというのは、そういうことなのではないでしょうか。だから、「お経を唱える」という行為が今まで続いてきたのではないでしょうか。これは僕の持論ですが、意味のないものはいつか必ず消えていくものです。逆に意味が分からなくても、残り続けているものは、どこかに必ず大事な意味を含んでいる。
お経にもきっと大事な意味があるのでしょう。それは「ありがたい言葉」とか「ただ読むように言われたから」といったあやふやな理由ではなく、もっと確かな手ごたえのある意味だと思うのです。

馬の耳に念仏

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