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仏教というのは不思議だ。
どこが不思議かというと、まず、仏教が生まれた本国インドでは、すでに仏教がほぼ消滅している点。
そう、インドでは仏教を崇拝している人が限りなく少ない。人口の1%未満といわれる。インドでは仏教が信じられていないのである。
では、インドでは何教が盛んかというとヒンドゥー教だ。仏教とは、このヒンドゥー教から生まれた一派なのだが、今ではほとんどインド国内に残っていないのが現状だ。
ヒンドゥー教というのは、インドの大部分で信仰されている宗教だが、これは元をたどるとバラモン教(古代ヒンドゥー教)になる。
バラモン教の成立は古く、紀元前13世紀頃に形成されていったとされるが、元来、ドラヴィダ人というインドの原住民がいたところにアーリア人が攻め入ってきたことで、融合された文化の上に生まれた宗教だ。アーリア人、というのは昔でいうペルシャの人間で、今のイメージでいえば、中東のイスラム教圏の人々に当たるだろう。
ということは、だ。
色々つながる。
イスラム教は、元をたどればユダヤ教で、このユダヤ教から生まれたのが、キリスト教。
紀元前13世紀といえば、まだキリスト教もイスラム教も誕生していないが、ユダヤ教は生まれつつあった。
つまり、地理的感覚からしたら、バラモン教はもしかしたら、ユダヤ教と近縁関係にあるのかもしれない。だとすれば、キリスト教もイスラム教も仏教も、みな、別個のものではなく、どこかでつながっているのだろう。というか、世界的に広がっている宗教は元をただせば、一つなんじゃないだろうか?
それはさておき、仏教の不思議さ。
なんでインドでは廃れた宗教が、日本でこんなに隆盛を誇っているのか、ということなのだが、さて、なんでだろう?
例えば、中国では何教が主流かと見てみると、幅広い対象の信仰があるが、おもに道教などの民間宗教が占めており、中国国内の仏教徒は人口比にして5~10%しかいない。インドシナを中心に仏教信仰は根強いが、正味の話、全世界の仏教徒の大多数は日本人と中国人であり、日本、中国、タイといったあたりで仏教徒の大部分のシェアを占めている。
だから世界から見れば、仏教は異端といっていいかもしれない。何せ、仏教誕生の地ではすでに仏教が崇拝されていないということが、悲しいではないか。
そんな仏教が、大陸と海を隔てた日本でどうしてこれほど栄えたのか。
これは社会科でいえば、大化の改新の蘇我氏の時代まで遡る。蘇我氏が聖徳太子とタッグを組んで、日本に仏教を広めたと言われているのだが、なんでこの二人は日本に仏教を広めなければならなかったのか?という疑問が浮かぶ。
普通に考えておかしいではないか。
どうしてインドという日本とかけ離れた土地で生まれ、その土地から去るようにして流れてきた宗教を彼らは国教扱いにしたのだろう。
これは言ってしまえば、モルモン教を日本の国教にしましょう、みんなでブードゥー教を信仰しましょう、というぐらい奇異な行為である。
翻って現代。
日本全国各地にお寺はあるが、これらの寺院がどのようにして成り立っているかというと、ほとんどが檀家制度によって成り立っている。多くの家が菩提寺とお墓を持ち、お寺は檀家から死人が出た時に葬式をあげ、戒名を授け、それらのお布施によって成り立っている。
これはもう明確に資本主義社会であり、一般的には、檀家が250軒ないと、お寺一軒がやっていけないという試算まで出ている。250軒あれば、年間に何人死者が出て、だいたいの年間収入はいくらか、というものが弾き出せる。そのうえでお寺は成り立っているのだ。
が。
そもそもインドで生まれた仏教は、お釈迦さまは、「檀家制度を持ち、檀家からお布施をもらって生きていきなさい、それが坊主というものです」と後世に教えたのだろうか?どの仏教書を読んでも、そんなこと一つも書いていないのである。それをやったら、もうそれは宗教ではなく、商売ではないか?新聞屋と変わらないではないか。
輪廻とか六道とか、そういう思想的なものは現代にも受け継がれているかもしれない。しかし、仏教の求めるところと、現在の日本のお寺の在り方というものは大きくかけ離れていて、まるで逆転している。つまり日本のお寺がやっていることは、全然、仏教じゃないのである。
それなら何のためにお寺ってあるの?
このあたりが、仏教の不思議さであり、例えばキリスト教は教会で礼拝をおこない、洗礼の風習や教義やクリスマスや、イエス・キリストを信仰しています、という感がビシビシ伝わってくるのだが、仏教にはそういうものがあまり感じられない。
正直、もうお寺とかなくてもよさそうだが、そうするとこれまでの歴史で培ってきたものが崩れるからそれはそれで大変で、やはりなくてはならないのだろうが、なくてはならないからある感じ、本末は転倒しているけど必要だから残している感じ、が抜けず、もうすっかり主軸は失ってしまいスライムみたいになってるんだけど、それでも続く私たちの国の宗教、仏教というのは実にいい加減だなあと思わずにはいられない。
それはつまり、それだけ日本という国がいい加減なのかもしれない。