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20100418

阿呆の春

【カテゴリ:阿呆】

ああああ、ってよくドラクエの名前を考えるのがめんどくさくて付けた人、結構いると思うんだけど、石川さゆりのああああって言ったら津軽海峡であり、そういえば高校時代に石川さゆりという名前の先生がいたなあと思い出すのだけど、春ですね。いっやあ、春だなあ。陽気だよね。YO-KINGだよね。それは真心ブラザーズであり、倉持陽一であり、YUKIの旦さんなのだけど、春の風物詩についてちょっと考えている最中なんだ、僕は。春の風物詩っていったらアレだね、つくしだね。つくし、あれ、煮て食えるんだね。あと、タンポポとかね。のびるはよく採ったなあ。土方をしていた時に、現場の土手なんかでね、摘んで帰るんだけど、あの頃独り暮らしをしていたからビールのつまみに味噌付けてよく食べた。食べ過ぎると3日くらい自分の吐く息からのびる臭がするんだけど。神戸では、くぎ煮という食べ物が春の風物詩であるらしい。いかなごという小魚を砂糖と醤油、それから生姜などで味付けした、佃煮みたいな食べ物なのだけど、各家庭でそれぞれに味付けをして近所の人と交換したりするんだそうだ。その時期には、スーパーでいかなごが大量に、もう袋で1キロ2キロとお客さんに売れるという。僕も先日、縁あってそれを頂いたのだけど、ご飯がすすむおいしさなのでありました。まあ、そうやって各地域にもそれぞれの風物詩があり、なんだか心がウキウキする。自分の知らぬ風物詩を知ったとき、それだけで一つの春を心に感ぜられるというのは幸せなことだと思うのだけど、数日前、自分がバイトしているスーパーでこんなことがあった。店内にて商品の補充をしていると、高校の制服を着た女の子二人がやってきてこう言う。「あの・・・そめこどこにありますか?」はて、そめことは何だろう?と一瞬考えたのち、「髪の毛を染める染め粉ですか?」と聞き返したらば、「そうです」という。まあ、そめこなんて言葉、当てはまるのは「染め粉」くらいしかないのだが、若い女の子から「染め粉」という単語が出てくることに少々ギャップがあって戸惑った。これが年配の女性だったら、すんなり入ってきそうなものなのだけど、いっやあ言葉って不思議だなあ、それにしても染め粉の染め粉以外の名称って何だろうなあ、なんて考えながら売り場に案内すると、そこには白髪染めしか置いていない。田舎のスーパーである。品揃えは貧相だ。あっちゃあ、と思いながら、一応「ここです」と手でジェスチャーを交えながら説明すると、二人は「ありがとうございます」と言って、何やら浮かぬ顔をしながら数種類の白髪染めを見比べ始めた。そんなことがあって、仕事中に、これも一つの風物詩なのかもしれんなあと自分は思ったのだけど、それはどういうことかというと、おそらく彼女たちはスーパーの近所にある高校の新入生である。それまで黒髪で過ごしてきた生活を高校入学と同時に、あっかるくライトブラウンにしちゃおっかな―、てな風にでも考えているのだろう。きっと、そういう子は全国にも多いはずだし、てことは全国の販売店で染め粉を求めて行脚する女子高生みたなものも、これまた春の風物詩なのかなー、なんて思ったのだ。少女が少し背伸びをして、大人の女性に近づこうとする様にも、どことなく春の香りが漂う。いかにも現代的な風景ではあるけれど、僕にはそんなことが新しい春の風物詩として目に映ったのだ。
しかし最近の女性は、いつからなのか分からないが、みな口を合わせたように髪を茶色に染めている。学生に限らず、社会人にも言えることだが、あれは何故なんだろう。色の濃淡こそあれ、みな茶色である。別に批判するわけではないし、自分もかつて髪を金髪に染めていたことがあったので、髪を染めて洒落てみたい気持ちが分からないわけではない。ただ、時折街を歩いていて辺りを見回すと、周りの女性が一様に茶色い頭をしていてギョッとすることがある。おばちゃんのように紫や緑でむんむんに頭脳を強調した方がいいというのではないが、なにか妙な違和感を感じてしまう。世の習いというのも不思議なもので、アルバイトで新しい職場に入って仕事をするときも、女性に限り茶髪OKです、ただ明るさはここまででお願いします、なんて書いてあるマニュアルを渡されて、思わず首をかしげてしまう。そういうところは大抵、男性は黒髪じゃないといけない、と付け加えられているが、これもおかしなものだ。それが日本社会と言われればそれまでだが、僕らはロボットじゃないのだから、もうちょっと自由な選択肢と、それを寛容に受け入れる社会があってもいいんじゃないかと思う。
ところで春の風物詩、みなさんの周りにどんなものがあるんだろうね。宮崎の桜は散った。新緑の季節は季語で捉えれば、晩春と初夏だ。一昨日、バイクで日本を一周中という大阪の男性と知り合って、彼に谷川俊太郎の詩選集を頂いたのだけど、そこにある「ネロ -愛された小さな犬に」という詩の一節をぼんやりと思い出している。学校の教科書にもよく載っている詩だ。ネロ/もうじき又夏がやってくる。毎年毎年、春が終われば夏がやってくるのだけど、なんちゅーか、季節感、四季の国日本とは言うけれど、自分が今までなおざりにしてきたそういうものに今改めて向き合ってみたいなあ、なんて感じている今日この頃なのです。


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