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先々月から、G君という22歳の男の子と同居している。
G君は、もともと1年前に、今自分がお世話になっている先生のお宅で居候するはずであった。ところが諸事情でそれが延期になり、ようやく今年から一緒に住みはじめた。
諸事情、というのは彼の家庭環境で、去年、彼の母親は長年患っていた心の病から、家族を残して実家に帰ってしまった。父親は仕事をしているが、アルコール依存症であり、家にいる時はずっと酒を飲んでいるという暮らしだという。3人兄弟の長男である彼もまた職を持たず、家に引きこもりの生活であったが、先生に諭され、「うちでしばらく暮らしてみなさい。とにかく自分の生活を改善していきなさい」と勧められていたのだが、踏ん切りがつかなかったのか、そのまま家で過ごし続けた。母親がいない分、老いた祖父と、父、弟、妹に食事を作っていたらしい。
そして去年の暮れ、その祖父に末期がんが見つかり、数か月もしないうちに亡くなってしまった。
先々月の夜中、急に先生の家を訪ねてきた彼は、目がうつろで、頬がこけ、生気というものが全く感じられない有様であった。
先生に「どうしたんだ?」と聞かれると、「夢を見るんです。よくない夢も見るんですが、それが全て当たってしまうんです。先生の家族の夢も見るんです」と、意味不明瞭な事をうつむき加減に無表情で滔々と述べた。
どうやら彼は、自分に予知夢の能力があると言いたいらしかった。夢の中で見た悪い出来事が現実に起こってしまう。そんな悪夢に先生と先生の家族が出てきた。だから、それが現実になってしまう前に、今日はそれをお伝えしに来ました、そういうことだろうか。
これに対し、先生は「お前がいくら悪い夢を見て、明日俺が死ぬと分かっても、生きるしかないだろ。そんなことが分かっても、何も変わらないんだよ。明日死ぬと分かっても、俺は今日、飯を作って家族と会話して仕事しなければならないんだから」と彼の意見を肯定した上で諭し続け、「とにかく働きなさい。明日からバイトを探して、タダでもいいから雇ってもらいなさい」と言い、彼を帰らせた。
帰る時、彼の顔は和らいでいた。話を聞いてもらって安心したのだろう。あるいは、予知夢の話は「助けてください」という彼なりのサインだったのかもしれない。
先生は以前、京大や同志社大学で教授をしていた。専攻は経営・経済だが、心理学の分野にも精通している。G君が帰った後、自分を含めた家族に「あいつは今、狂うか狂わないかギリギリの状態だ。とにかく仕事を見つけて、生活のリズムを作っていかないとダメだ」と彼の精神状態を家族皆に説明したうえで、全員で経過を見守ることにした。
数日後、「アルバイトの面接を受けて、受かりました」と彼から連絡があった。声が明るくなっており、皆が一様に安心した。G君にはもともと絵の才能があり、本人もデザイナーとしての自立を希望している。そのための環境づくりとして実家を出ることが必要であり、先生は「すぐ、うちに引っ越してきて、うちで勉強しなさい」と告げ、今、自分の隣の部屋で暮らしている。
半日アルバイトをし、半日は自分の勉強をする。夜、先生が作る夕食を家族みんなで食べ、社会経済もろもろの話を聞き、暮らしている。同じように、僕もそうやって作家になるための勉強をしている。
現在、G君の家では父親と弟が二人で暮らしているそうだ。父親に「引っ越したい」と話した時、「お前ももう大人だから、そうしなさい」と言われたという。妹は現在高校一年生だが、去年、父親のもとを離れ、母親の実家に引っ越したらしい。
そんな中、そのG君の父親が今月行われる町議会選挙に出馬することになった。実はG君の実家というのは、かつて醤油商で栄えた地元の名士だったそうで、今は落ちぶれてしまったが、まだ地元への影響力が強いのだという。
ほとんど一家離散と言っていい家庭環境の中で、自身はアルコール依存症にありながら、町議に立候補するG君の父親。僕には、それがどう見ても異常な事態だと思うのだが、「こういったことが一つの社会の縮図だろう」と先生は言う。
G君は、隣の部屋に越してきた時、布団をベルトでぐるっと巻き、それを担いで持ってきた。700mほどの距離を歩いて、ダンボールやテーブルなど、全ての荷物を自分で担いで持ってきた。1日に2~3往復しながら、4日かけた。その荷運びの最中に、彼の父親や家族は一度も顔を出すことはなく、一人で引っ越しを始め、一人で引っ越しを終えた。
持ってきた布団に掛け布団はなく、敷布団と毛布一枚であった。2月の寒さの中、暖房のない部屋で、毛布一枚で寝ているG君を見かねて、先生は寝袋を貸した。「大丈夫です。いつもこれで寝ています」とそれを断っていたG君だったが、翌日に熱を出した。やはり、寒かったのだろう。環境が変わったせいもあるかもしれない。僕は彼に自分の部屋のファンヒーターを貸した。「勝手に持っていって使っていいから」と言っておいたのだが、部屋に戻ると一通の置手紙がある。「すいません。暖房をお借りします」と書いてあった。
僕はその手紙をまじまじと見つめながら「律儀だなあ」と呟き、また物思いに耽ってしまったのだった。