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20110410

満州からの手紙

【カテゴリ:日常】

今、自分の手元に一通の手紙がある。ハガキサイズの封筒で、ところどころ紙が破けている。もとは白無地なのだろうが薄茶色く焼けている。
宛名は高沢幹一君。これは自分の祖父の名。差出人は五十幡七郎。知らぬ人だが、おそらく祖父の親戚か近所の方であろう。五十幡とは難読だが、実家近くに多い苗字でイソハタ、イソバタと読む。差出人住所が満洲国三江省勅利縣青少年義勇軍勅利訓練所山本中隊警備となっている。消印は昭和5年10月27日。昭和5年というと、祖父がまだ10歳に満たない頃だ。
先日、実家に帰省した折に物置でほこりをかぶっているのを見つけた。中を開けると、8枚組の絵はがきが出てきた。包紙に王道楽土大満洲風俗と書かれてあり、その下にはTHE LIFE OF MANCHUと英訳が振られている。絵柄は白黒写真に色付けを施して印刷したもので、馬車や、荷車の上で楽器を弾く人や、大道芸人、占い師、町の様子が映っている。
義勇兵として満州に出兵する五十幡青年が、見送りにきた幹一少年に「向こうについたら絵はがきを送ってやるからな」そんな約束でもしたのかもしれない。絵はがきを見ていると、見たことのない二人の光景が脳裏に浮かんでくる。

歴史をひも解くと、満州事変が勃発したのは昭和6年のことだ。その翌年の昭和7年、日本軍は中国満洲に満州国を建国し、世界に満州の独立を宣言するに至る。五族協和をスローガンに掲げた平和的国家の建設という建前だったが、実質は日本軍の支配下に置かれた。
昭和5年というと満州国建国の2年前になるが、手紙の住所にはしっかりと“満州国”と書かれている。どういうことだろうか。昭和5年には、すでに満州国があったのだろうか。よく分からない。しかし、当時の満州ですでにこのような土産物の絵はがきが出回っていたことを鑑みると、学校で習った社会の歴史とは少し認識が変わってきて興味深い。
この青少年義勇軍というのは、どういうものだったのだろうか?義勇というぐらいだから、志願兵なのだろう。
当時、多くの国民が自ら希望して満州に渡ったという話は聞いたことがある。満州という広大な土地に、新たなビジネスチャンスを求めた人も多いと聞く。結局、そうやって王道楽土、楽園だと謳われた満州国の歴史は、終戦の玉音放送と共にわずか14年でその幕を閉じるわけだが、後、義勇軍の彼らはどうなったのだろう。無事帰還出来たのだろうか。
満州で生まれて、その後日本に引き揚げてから活躍した人は多い。作家の五木寛之さんもその一人だが、敗戦後の満州からの日本引き揚げは凄惨を極めるものだったらしく、それについて触れられたエッセーなどを読むと凄まじい。
敗戦後、日本への引き揚げ船に乗りそこなかった人々が、国境線を越え南下してきたソ連兵に虐殺され、捕虜になりシベリアに送られるなどした。日本に帰ることが出来なかった子供達は残留孤児となった。手紙の差出人であるこの人はどうしたのだろう。少し気になる。

もう一つ、同じく物置で手紙と一緒にほこりをかぶっていたものがある。徴兵検査心得という小冊子だ。パスポートほどの大きさで、昭和16年度版と銘打たれ32ページにわたって細かな決めごとが書かれてある。これは、召集令状の後に配られたものだろうか。
内容は徴兵の詔に始まり、兵役の義務、戸籍の整理、入営時の携行品についての注意書きなど。中には性病について触れられている項もあり、いわく「トラホームや花柳病に罹つて居る人でも程度の軽いものは合格者になつて居るから此等の人々は今から治療を始め入営時までには必ず根治せねばならぬ。」
冊子には点々と小さな染みが出来ていて、時の流れを感じさせる。昭和16年、幹一少年は二十歳の青年になっていた。祖父はこの戦争をどのように見ていたのだろう。少年時代の絵はがきから11年が経っている。戦地が拡大する中で、義勇軍だけではとても兵隊が足りなくなり、世の中は徴兵の時代に移り変わっていた。

敗戦から21年した昭和41年に、祖父は44歳で亡くなった。
昭和57年生まれである自分は、写真でしか祖父の顔を見たことがない。祖母が言うには、立派な人であったそうだ。戦後、インドネシアの島から一度は日本へ引き揚げたものの、戦地に残してきた戦友のことが気がかりで、わざわざもう一度捕虜になるため船に乗り、島に戻ったそうだ。まるで太宰治の「走れメロス」みたいな人である。優しくて、賢くて、そういう情のある人だったそうだ。
別に取り立てて何か言いたいことがあるわけではない。今回家探しをしていてたまたまこのようなものを見つけたので、貴重なものだと思い整理される前に持ち帰ってきた。そして、こうやってただ当てもなく書き連ねている。
戦争と聞いたときに、自分の中に実感が伴うことはない。しかし、こうやって実際に戦地から送られてきた絵はがきや、祖父も読んだであろう徴兵検査心得などに触れていると、戦争に対して今までとは違った感覚が湧いてくる。
2つの“史料”を前にして、ただただ祖父の生きた時代に思いをめぐらせている。遠い日の祖父に心を重ねようとしている。叶わぬ願いだが、一度でいいから話をしてみたかった。

尾鈴山の夕暮れ


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