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20110502

ブログ雑感

【カテゴリ:考察】

僕の友人に三好という男がいる。彼はバンドマンなのだが、活動の一環としてブログをやっている。ある日、父親にそのブログが見つかってしまった。見つかった、というかバンドのホームページ上で公表していたものが、たまたま父親の目に触れたらしい。その日の晩、父親から電話がかかってきてこう怒られた。
「日記は人に見せるものじゃない!」

2000年代初頭の話である。ブログが世の中に段々認識され始めてきた頃だろうか。その後、MIXIが登場して多くの人がネット上で日記のやり取りを楽しむようになり、最近ではFacebookの浸透でその輪は世界に広がりつつある。ブログに限らずツイッターの登場で、日記どころか日々の呟きまでもがネットという無限世界の中をせわしなく駆け巡っている。
三好の親父さんはまさか人々の言葉がこれほど安易に社会に流れる日が来るとは思っていなかっただろう。確かに10年前まで日記は人に見せるものじゃない、そういう考え方が正統だったと思うし、当時のブロガ―も今よりは脱個人的にブログを利用している人が多かったように思う。ところが、この10年で事態は反転した。日記は公開して楽しむものになったのである。
「今日はこんなことがあった、明日は何々をする予定だ」、「夕食にこんなものを作った、それを誰々と食べた」、「昨日は恋人とデートした、けれど喧嘩になってしまった」・・。そんな開けっ広げな情報がネット上を行き交い、大きな時差なくして隅々の人まで行き渡る。そうして、それを見た人が思う様にコメントを寄せる。
日記は人に見せるものじゃない、という親父さんの言葉は多分に色々な教訓を含んでいるだろう。日記は自分自身の赤裸々な記録であるし、そこに登場する人物のプライバシーに関与している。つまり日記とは自分で読み返すために書くものだ、と。ダウンタウンの松本人志氏だったと思うが、だいぶ前に「プライベートの時に僕を見たやつが後でネットに松本がいつどこで何をしていたとか書いたりするけど、そういうのは勘弁して欲しい」というようなことを言っていたことがある。これなどは書き手のモラルの問題だろう。書いている方は飽くまで日記感覚で「今日どこどこで松本を見た」と一椿事としてそれを取り扱う。しかし、それはネットを通じて全世界に公開される情報であり、結果的にどこかで松本氏を貶めることになることだってあるかもしれない。そのイメージができていないのだろう。他人のプライバシーについての情報を流しているという自覚がそこにはない。
最近、驚いたニュースがあった。ある芸能人がツイッターで「自分の元亭主が先輩と浮気していた」と書いた事件。翌日から早速ワイドショーのニュースになり、数週間に亘って日本を騒がせた。こんなことはそれこそ10年前では考えられなかったのではないだろうか。書き手がそれを書くことによって何を望んでいるのか自分には分からないが、とにもかくにも大人3者が揃って内々で解決すべきごくプライベートな事件を、ツイッターでの呟き一つをもとに日本全国を巻き込んだ痴情事件に発展させた。
皆さんはこのニュースを一体どう見ただろう。
これを報じる側のマスコミは、この事件を“不倫”という争点で扱っていた。だがその部分自体は大した問題ではないと思う。痴情のもつれなどは昔から腐るほどある話で、そうではなくこのニュースの奇妙な点、最も問題な点は、この特異な情報流出についてだと思う。すなわち、ツイッターで自他のプライベートを全国公開し、それにより日本を騒がせるという展開。騒ぐ方もそれを生真面目に受けてお祭り騒ぎにしてしまう。そんな馬鹿なことがあっていいのだろうか。他愛もない痴話喧嘩に国民を巻き込み全国規模の井戸端会議をやっている、そんな印象を受けた。それを可能にしてしまったツイッターの恐ろしさも併せて考えさせられる。

我々は急激なスピードで歴史を捻じ曲げていっているのではないか。過去の人が時間をかけて培ってきたルールやマナーをいとも簡単に折り曲げ、新しいものにしてしまう。そうしてそれがあたかも最高であるかのように無自覚に氾濫させている。
例えば携帯電話一つ取っても、メル友殺人があった、学校裏サイトがあった、自殺掲示板があった、児童ポルノがあった、電磁波があった、オレオレ詐欺があった、写メの問題があった、そういう一つ一つの事件が次々と起こっているのに、それが解決しないうちにまた新しいものを作って流布させている。ツイッターだ、スカイプだ、フェイスブックだとどんどん新しいものが流行し、そうしてその新しきものからは常ひっきりなしに新しい問題が生まれている。我々は目についた食べ物を食べまくった挙句、糞だけを残して糞だらけの世界になり、それでもそれが糞だらけの世界だとは気づかずにまだ新しい食べ物を求めてそこら中を飛び回っている、まるで怪物のようなものではないか。
三好の親父さんの言葉は、今の時代だからこそ逆に重みを持って自分に問いかけてくる。十数年前まで自分も日記は人に見せるものではないと思っていた。ところが今ではその抵抗感がない。「そういえば、いつの間に自分の常識はすり替わっていたのだろう」少し背中を寒くしながら、そう思わされる。

渚

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