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20100301

阿呆の物真似

【カテゴリ:阿呆】

図書館で川上未映子を借りてきて読んでんだけどね、センテンスが長くて一見読みづらそうでいてなんかスラスラアって読めるのは実に不思議だな、なんて思っているのだけどこの長いセンテンスを描くのには実はそういう技術がいるんだってことをこれ、やはり図書館で借りてきた大野晋さんの日本語練習帳てな本で読んだのだけど、彼女、以前その文体を町田康のパクリじゃないかなんてネットで叩かれていて、なんかそういうの見たら気分が沈んだことを今さらながら思い出した。
世の中のパクリ問題は一向に収まらず、結構ちょっとまあまあそれなりに陰鬱になるのだけど、僕の言うパクリ問題ってのはパクったかパクッてないかではなく、アレは何々のパクリだとか、これは何々のパクリだと主張する人の世の中から減らないことで、例えば20%古めだけどクラキマイはウタダヒカルのパクリだとかね。まあ、そんくらいなら別に言わんでも解るから、敢えて言う人も何そんな解りきったこと言ってんのんと言われるのを恐れて口に出さないってのが若干の常識ではあるんだけど、ちょっとマニアックなことになると人は賢しらに、これはアレのねえパクリなんだよ分かるかな、なんて言いがちで、そんなパクリを主張する人々によるパクリ問題が一向に収まる気配を見せないんだ日本から。けど僕が思うのはね、パクリパクリってそもそもパクらん人間がこの世の中にいるもんかということで、土台人間は生まれてからこのかた親を友人をパクって生きているのであり、その場合どんな風な言葉に置き換えられるかと言うと、見習うといったりするね。挨拶も食事も流行も趣味も、人は常に何かを見習って生きているのであり、そう考えると、クラキマイもウタダヒカルを見習ったんじゃないの?記念樹も小林亜星を見習ったんじゃないの?と言えるのであり、しかし見習うとは言われずにパクリと言われるのは、これ一重にそういうものものが商業的に金の絡んだことだからであり、金が絡むと人は見習うことをパクリと言い出す、という一つの真理が生まれ、パクリ問題は大きく膨らんで人間のやっかみ意識の表れだと捉えられたりもするのである。
そして今ひとつ問題なのは、パクリという言葉にはパクる側の苦労を蔑ろにする響きがあり、これ実はパクる側の人間にはパクるだけの技術や経験が必要だということがやや忘れられがちになっているということで、下手の物真似は商品にならんし、僕だってこれほらどうだろうか、川上未映子をパクったつもりだけど、パクリきれてなさにすこしまたちょっぴり、でも結構凹んだりするのである。まあ、ところで私見だけど僕は川上未映子の文体というものが昨今の新しい文学の流れのように感じていて、その流れの上流には確かに町田康がいるとは思うのだけど、そのもっと上流にはまだまだ文学の先駆者たちがいて、滔々と川の水が流れる如く流れてきただけの話なんじゃないかなんてなことを思う。だからパクるというよりは、温故知新なんて言葉が好きだったりするんだけど僕は、しかし先日こんなこともあって、ってのはシゲキックスっていうグミがあるのだけどこれがどう見てもハリボーのハッピーコーラグミのパクリなんだよ。僕はついつい自分を忘れて、パクリやん!と言ってしまったのだけど、誰もそんなことは気にしておらず、では何故自分がパクリと言ったかと言えば僕はハリボーを愛しているからであって、そうそう人があるものをパクリと責めるもう一つの要因に愛しているものは唯一無二であってほしいと願う自己中心的な欲望みたいなものも渦巻いているのであり、やはりパクリ問題、なんともかんとも複雑だなあなんて思ったりする3月1日の午前1時。

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