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20120702

源学3 アニミズムから一神教

【カテゴリ:日常】

子供のころ、茶碗に米粒を残すと、それを見ていた祖母にこう言われました。
「お米には一粒一粒神様が宿っているって、あたしの頃は教えられてね。ほら、しっかり残さず食べるんだよ」
きっと、似たような経験をされた方は多いでしょう。お米一粒一粒に神様が宿っている、というのは、おそらく日本が八百万の神を信仰していた時代の名残でしょう。
八百万の神というのは、どういうことかと、自然とは神様である、という考え方です。例えば、水には水の神様がいて、森には森の神様がいる。太陽も土も、そしてお米の一粒一粒にも神様がいて、我々はその神様に生かされ、そして時にその神様が祟りをなして荒れ狂うのだという考え方の宗教です。
現在、神道といっても、パッと浮かんでくるのは神社と神主くらいなのですが、建物を建てる際などは神主を呼んで、地鎮祭をしてもらう。これは何故かといと、そこに元々住んでいる「土地の神」が祟りをなさないように鎮めるためです。
この発想って、なぜ起こったのかというと、大昔は自然の力が人の生命を直接左右してきたからでしょう。人は自然に感謝するとともに、自然を畏怖してきた。その自然に人格を与えたものが、神だったわけです。地鎮祭が今でも行われるのは、土地の神を鎮めないと、どんな祟りがあるか分からない、という我々の自然に対する畏怖と敬意の表れです。それで土地の神に捧げ物を贈り、「つちのたいらけく、いわねのうごくことなく」と祝詞をあげるわけです。
このような自然崇拝をアニミズムといいます。(※神道は厳密に言うとアニミズムでないという意見もあります)アニミズムは古代、世界各地で多発的に生まれました。現在の宗教の多くが、元をたどっていくとこのアニミズムに行き着きます。
以下、広辞苑第六版での説明を載せておきます。
【アニミズム】…呪術・宗教の原初的形態の一つ。自然界のあらゆる事物は、具体的な形象をもつと同時に、それぞれ固有の霊魂や精霊などの霊的存在を有するとみなし、諸現象はその意志や働きによるものと見なす信仰。タイラーが提唱。⇒アニマティズム
さて、広辞苑の説明にもあるように、アニミズムは宗教・呪術の原初的形態の一つです。前回、ガリレオ・ガリレイが宗教と科学の境目をつくったことをお話ししましたが、これによると、現在の科学の流れというのは、つまりこういうことになります。
アニミズム(を含む原初的形態)

呪術・宗教

科学、医学(諸々の現代文明)

科学というのは何かというと、数式での証明です。それまでそこにどんな理由があるのか分からなかった、宗教の枠を出なった事柄を、数式で証明して見せた。それが宗教と科学の境目です。ところが、ではそれまであった不思議な現象を全て数式で証明できたかというと、これはNOです。現在、とりあえず数式で証明できる範囲を科学と言っているだけで、じつはまだまだ科学で解明できていない宗教・呪術の不思議な部分があるわけです。
例えば、昨今日本で流行っていることの一つに血液型性格判断というものがあります。これはABO式の血液型からその人物の基本的な性格を判断するというものです。A型は神経質、B型は自己中心的、AB型は変わり者、O型は大ざっぱ、というやつです。現在、この血液型性格判断を信じている人は多くいます。血液型性格判断信奉者に言わせれば、血液型による性格の違いがある、というのです。ところがこれには科学的な証明が全くありません。つまり数式では証明できていない。このように、科学では証明されていないけど、きっとあるだろうというような物事が社会にはたくさんあります。八卦などの占いも、その一つです。(占いについては、また後で項を設けて話をしようと思います)
科学が生まれる以前、これらのことがどうして発見されていったのか、というとキーワードになるのは法則でした。我々は、この世界におけるなにがしかの法則を発見していったのです。はじめ、アニミズムが発生したというのは、人にとってとにかく自然がわけのわからないものだったからです。昨日までは穏やかだったのに、今日急に天変地異が起こったりする。そんな事態に則するため、我々の生活に関するすべての自然を神として感謝し、注意を払ってきました。と、しかし、いつまでも自然にやられてばっかりの人間ではない。誰かが法則を発見していきました。例えば、大地震が起こる前日に変わった雲を見かける。今でいう地震雲です。この雲を見た次の日に大地震が起こる。あれは大地震が起こる凶兆なのだという話が出る。こういった法則を発見し、自分の身を守るすべを身につけていきました。そして、この法則を応用したものが呪術になるわけです。
このようにして、我々の経験則が科学の先を行っていた、ということが往々にしてあります。A型が神経質だと科学では証明できていないけど、今まで付き合ってきたA型の人はなべて神経質が多かった。「だから、A型は神経質な人が多い」というのが経験則で、古代の人々はそのようにして実に多くの法則を発見していきました。
分かりやすい例を挙げれば、天気について
「猫が顔を洗えば雨が降る」
「トンビが低く飛べば雨が降る」
「カエルがなくと雨が降る」
など、今でも言われています。おそらく、これらの法則を見つけるための作業集団として宗教が機能していたでしょう。
宗教史をひも解くと、アニミズムの次に生まれたのは一神教と言われています。古代人は気付くわけです。結局、水や森や土やといった多くの神々は、突き詰めると一つのものに行き着くのではないか?全知全能の神がいるのではないか?
そしてエジプトにおいて、世界で初めて誕生した一神教は太陽を神とするアテン教という宗教でした。紀元前十四世紀のことです。やがて、その太陽さえも法則でまとめていった人々がいる。これが預言者と言われる人々で、ここから現在の宗教が出来上がりました。
キリスト教のイエス・キリストが生まれた時、三賢者がやってきたといいますね。星を見てキリストの誕生を知り、拝みにきたと。これはつまり、そのころすでに星の動きからある法則を見つけ出す、天文学の走りがあったということでしょう。天文学があったということは、太陽の法則も読みとっていたでしょう。太陽すらも追い越して、宗教は、太陽や宇宙を崇拝する一神教から人格神を崇拝する一神教へと駒を進めた。すなわち、人を神とする、仏教、キリスト教、イスラム教などです。
聖書を読んでいると、この書物が現代にも通ずる預言書であるということが分かります。ノアの方舟などまさにそうでしょう。神様が人の傲慢に怒り、世界を破滅させようとする。それはあたかも文明におぼれた現代人のことを言っているようである。ですが、正確にはこれらは預言ではなく、法則を載せているだけなのです。つまり、人間というのはどんなに時代が変わっても、このような失敗をするんだよと聖書は言っているわけです。その法則を古代の人は発見し、記録したのです。ですから、聖書で言っていることはいつの時代も普遍的なことを言っていることになる。同じように仏教は、この世が四苦八苦だと言うわけです。どんなに時代が進歩しても、人は「生・老・病・死」に苦しめられるという。当たっていますね。病気が医学によって無くなるかというとそうではない。現代病という新しい病気がこれでもかというぐらい次々に登場しています。これらは皆、法則に基づいた答えです。
そして、これらの法則はすべて科学で証明されていない。けれど、ある。だから、宗教というのは今の世でも無くならないし、必要とされているわけです。宗教をよく知らないと、ただ胡散臭いと突き放してしまいがちですが、もしかしたらその胡散臭さの中にダイヤの原石みたいなものが転がっているかもしれないよ、ということをこの源学では突き止めていくのです。

アニミズム

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