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20130105

2013年 年始の挨拶

【カテゴリ:日常】

あけましておめでとうございます。
先日、年明けに友人から電話がかかってきて、なんの用かと思ったら、いや、新年の挨拶だ、と。
で、そうか、新年の挨拶かと思い話していたのだけど、友人が今年はこんな年にしたいと話しだす。ほう、どんな年にしたいの?と聞けば、やりたいことを全部しようと思うんだ、と言うので、そのやりたいことを一つ一つ聞いていく。で、締めに「お前はどんな年にしたいのだ?」と聞いてくるので、僕は、「今の生活を続けていくよ」と答えれば、友人は「なんだか君は仙人のようの生活を送っている」と言って、僕を茶化す。
いや、しかし、仙人というのは言い得て妙で、仙人。「そうだよ、俺は仙人になりたいんだ」と答えれば、友は「はああ」と感嘆とも驚嘆とも落胆ともつかぬ声で相槌を打つのであって、なんでだ、仙人、自分は結構本気で思っている。

「仙人いいよな。霞を食って生きるとかな」
そんなことを友人は言う。
ところで、皆さん、仙人が霞を食べて生きると言いますが、本当に霞を食べて人間が生きられるものなのでしょうか?
「霞を食べて、人間が生きられるわけないじゃないか」と僕が友人に返したところ、友人は「どういうことだ?」という疑問符を僕にぶつけてきたのであり、どういうことも何も、「人が霞だけ食べて生きられると君は思っているのか?」と問えば、「でも、仙人と言ったら、霞を食べて生きる、と言うじゃないか」と反論してくる。
仙人、というのは、どこか空想上のキャラクター的な雰囲気があって、中国の山奥で長い白ひげを生やして、杖を持って、雲に乗り、霞を食って生きている、と。そんなイメージがあるのだが、実際問題、霞だけで人は生きられないと現代科学、現代医学で考えれば常識なのだが、人は時々、そういう常識を無視して物事を考えていることがままあり、この場合の友人なども、言い伝え通り、仙人はそういうものだという解釈で仙人を見ていた。ところが仙人とは実際にいた人々であり、これは何かと言うと、仙道という道(タオ)に生きた人々を指している。
で、俗に「仙人が霞を食う」というのは、本当に霞を食べているのではない。
「では、何を食べているのだ?」と友人が問うので、「唾液だ」と自分は答えた。
唾液。要するに仙人というのは、飲まず食わずという人間を極限状態へ持っていく修業の中で、いかに食わぬか、という方法論を確立していく。これは行き着くところ、例えば、梅干し一つで人は何日生きられるか?というような話であり、この一粒をどう有効に使うかという問い詰めだ。5秒で飲み込んで、半日持たない人があるかもしれない。ほとんどの人はそうだろう。ところがこれもやり方で、まず口の中に梅干しを放り込んで、すぐに飲み込まず、果肉を小さく小さく小きざみに食べていけば、それで1日は持つだろう。うまくやれば3日は持つかもしれない。次に、種が残るがこの種を普通は捨てる。が、これも口の中に入れたままずっとしゃぶり続ければ、唾液が分泌され続け、ジアスターゼによって、じわじわと分解していく。これによりさらに一週間生きられるだろう。また、この間の唾液分泌により、余計な水分摂取も控えることが出来る。つまり、人は唾液によって、ある程度延命できるのであって、これはおかしな話ではなく、例えば、あなたが雪山で遭難した時、船が漂流してしまった時、こうやれば、ある程度時間を稼げて、それが生死を分けることは大いにあるはずだ。
つまり、仙人が霞を食うというのは、本当に霞を食べているわけではなく、山の中で修業をしながら、ずっと口をもごもごさせていた、唾液を分泌させていた、というのが大まかな正体で、その様子を他人が見たとき、「おお、なんかあいつ、霧ん中でずっと口をもごもごさせて、他に何を食べている風でもないけど、まさか霧を食べてんの?」みたいな誇大表現になったのであり、まさか霧で人が生きていけるわけはないだろう。合理的に考えれば分かる。科学的に考えれば、おかしいだろう。
と、こういうことの追求が仙道であり、仙人であり、ということを友人に説明したらば、友人は大いに納得し、「そうか、なんでそんなことを知っているのだ」と聞いてくるので「だから自分は仙人になりたいと言っているだろう」と返答した。
仙人。昔、そんな人々がいた。しかし、昔に限った話ではない。現代においても、少なからず居るだろう。友人が言う。「君は、人目に触れず生活している感じがする」。うむ、そうなのだ。仙人は人目に触れてはいけないのである。芥川龍之介の「杜子春」を読めば、よく分かる。あれは面白い。おススメだ。
そんな年明けなのですが、今年の抱負は「丁寧に生きる」ということです。時間も勉強も、丁寧に使い、丁寧に消化していく。一粒の梅干しのように。どうぞ皆様、本年もよろしくお願い致します。

積読

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