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計画停電の実施に伴い、都内でひったくり件数が増加しているというニュース記事を読んだ。
暗闇に乗じて犯罪を行う人間が増えた、という。
本当に計画停電がきっかけなのか、真偽のほどは分からない。もしかしたら失業者が増えたことでひったくり件数が増加しているのかもしれないし、地震のストレスが遠因となってそのような事態になっているのかもしれない。一概に計画停電で、とは言えないと思う。
ただ、どうもこの闇や暗さというものは、人間の悪を助長するものらしい。
というのも先日の地震直後、自分の地元の薬局でこんな事件があった。あの日、埼玉ではほぼ一日中停電が続いていたのだが、その薬局でも店内の電気はおろか、レジも使えない状況に関わらず、店主が「お客のために」と店を開けていたのだという。地震発生直後のことで、物流不安から店で買い物したいと希望する客が多く押し掛け、本来ならば閉店するところを、わざわざアルバイトを増やして対応していたのだという。
レジが使えないため、計算は電卓での手打ち。電気がないので店内は薄暗いのだが、客はいつも以上に店を訪れた。特にレジの混雑ぶりはすごかったらしい。アルバイトの店員達は一つ一つの商品の価格確認に店内を行ったり来たり奔走し、値段を電卓に打ち込んでいった。全員が一丸となって、這這の体でその日を乗り切ったという。
翌日、停電が回復し、ようやく通常業務に戻れるとレジを再開。明るくなった店内で、昨日の売り上げを確認し、在庫状況を見て回っていた時のこと。陳列棚の商品がすっからかんになっていることに気づいた。明らかにおかしい。売上からして、これほど商品が無くなっているわけがない。これは一体どうしたことか。
「全て盗まれていたのです」
そう店主はこぼしていたという。こんなことなら店を閉めておくんだった、うなだれてそう言っていた、とこの話は親父から聞いた。ただでさえ暗い店内、レジばかりに店員の意識が集中し、防犯カメラも作動していない。
「会計待ちのイライラもあったのだろうけど・・」そのような状況の中で、万引きを働いた人間が数多くいたのだ、という。
人間の性悪説を唱えたのは荀子(紀元前313年~紀元前238年)だ。人間は元来、悪であると言い切り、だからこそ学問が必要で、学問により人間は善に向かうことが出来ると唱えた。この思想が後に法家の誕生を見、「悪だからこそ、法によって取り締まるしかない。法律を作って人民を統治しよう」という方向へ向かっていった。性悪説は元々、孟子の性善説を批判する形で生まれたのだが、現在の日本は法治国家なので、日本政府は性悪説を取っているといっていいだろう。いや、世界的に性悪説が主流なのかもしれない。
性悪説、というと正直あまりいい気がしないのだが、上の話を聞いている限り、そうなのかなと思ってしまう。人間は元々悪であり、電気と明かりと防犯カメラがなければ治安と秩序は保たれないのだろうか。法律と罰がなければ、人は罪を犯してしまうのだろうか。罪悪感とは、知識なのだろうか。
しかし、困っている人がいたら助けたい、と思う気持ちは知識ではなく、人間が持つごく自然な感情ではなかろうか。これは性善ではないのか。性善説は、人間は元来善性な存在なのだと説く。それが堕落によって、悪に堕ちると説明する。人間は性悪か、性善か、一体どちらなのだろう。それともどちらでもないのか、よく分からない。
「おい、お前よう、おめえ作家になるんだったら“暗闇の心理”って本を書いてみろ。売れるぞ。俺もよ、昔、作家になろうと思ったことがあってよ、暗闇の心理って書こうと思ったんだよ。暗闇んなるとよ、人間ってのは変わるんだよ。女を押し倒してみたり、そうやって万引きしてみたり、人間の本性が表れるんだよ。お前、こんな面白いテーマねえぞ。暗闇の心理ってよ、書いてみろよ」
以前から親父が自分にそう言う。暗闇の心理というのは、確かに面白そうなテーマだ。しかし、今の自分にはそのような大作をかける力はない。いや、むしろ難しいのは暗闇の心理より、明るみの心理なのかもしれない。明るさが逆に人間の悪にブレーキをかけるのだとしたら、それは何故なのだろう。
女を押し倒す、で思い出したのだけど、こんなこともあった。以前働いていた飲み屋で、ブレーカーが落ちて店が停電になった。その時店内には客が満員だったのだが大事なく、電気は1分ほどして復旧した。自分はその時店の大ホールの隅で焼き鳥を焼いていたのだけど、真っ暗だった店内が急に元通りパッと明るくなった。
すると、明るくなった店内の幾つかの席で男同士が乳を揉みあったり、後背位をしたりと、ふざけてセックスの真似事をしていたのである。ギャグのつもりなのか、まあ、酒のせいもあるのだろう。しかし、自分はこの時ほど人間が単純な生き物に見えたこともない。人間は複雑な生き物だというけれど、それは明るい世界の中だけの話であり、もしかしたら暗闇の中の人間ほど単純な生き物はいないかもしれない。