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20120716

源学4 体を健康にする法

【カテゴリ:日常】

アニミズムから宗教・呪術を経て、現代文明が誕生してきたことを前回、お話ししました。
そして、その中で宗教・呪術の中にまだまだ我々の生活にとって有用なものが残されている可能性をあげました。
その最たるものが「健康について」だと思います。
昨今、健康ブームで多くの健康関連の商品がメディアを賑わせています。最近では、ヨーグルトとトマトが大変流行りました。以前には、納豆が流行ったこともあります。モロヘイヤも流行りました。この前は僕の勤めるスーパーでバナナの売れ行きが上がりました。前日にテレビでバナナの健康効果を放送したからだそうです。食品というのは健康ブームとの相性が良く、とても乗り易い。これに付随して、サプリメントなども健康食品の一環として認知度は高いです。
その他に体操がよく流行っています。定番のラジオ体操から、ちょっと前では、ビリーザブートキャンプ、ホットヨガ、今は見かけなくなりましたがエアロビクスも絶大に流行りました。ダイエット効果も相まって、現在は骨盤ダイエットや、カーヴィーダンスなど、とにかく多種の体操、ダンスが登場しています。
ところで、このような、人が「健康になりたい!」という思いはいつの時代からあったものなのでしょうか?江戸時代の人は、やはり健康になりたいと思っていたのでしょうか?平安時代の人はどうでしょうか?紀元前の人間もやはり、時々自分の体の健康に憂慮したりしていたのでしょうか?
僕はあったと思います。何故なら、人間は常に病気による死の恐怖と闘ってきたからです。病気というのはいつも急にやってきます。「風邪は自己責任」と言いますが、気をつけていても風邪をひく時はひく。古代の人々もおそらく、いつやってくるとも知れない病気の恐怖と闘いながら、その対処法を模索していたことでしょう。それは想像に難くありません。
では、古代の人々はどのようにして、健康というものを考えていたのでしょう。彼らには「健康」という概念はなかったかも知れませんが、「病気にならない体」というものを徹底して考えたでしょう。例えば、「病気になった人」と「病気にならない人」を見比べて、何が違うのか、観察したり、時には実験もしたはずです。
そもそも、我々人間が「健康」を手にするために何をすればいいか、というのは突き詰めて考えていくと、それほど難しいことではありません。
まず、人間の生活を分解してみましょう。
・寝る
・立つ
・歩く(走る)
・座る
・話す(発声する)
・食べる
・性交する
・呼吸をする
です。人間の生活というのは、基本的にこれらの行動から出来上がっています。これは誰でもそうであり、逆を言えば、この8つ以外の行動をしている人はいません。仕事をしている、と仰る人もいるかもしれませんが、仕事中は立つか座るか歩くかしているわけです。
ですから、健康になろうと思えば、こうすればいいのです。
・正しい寝方をする
・正しい立ち方をする
・正しい歩き方(走り方)をする
・正しい座り方をする
・正しい発声をする
・正しい食べ方をする
・正しい性交をする
・正しい呼吸をする
これが出来れば、人は誰でも健康になれます。これ以上の健康はないでしょう。
さて、では、次にこのような疑問が浮かんでくるはずです。
「正しい座り方ってなんだ?正しい発声ってなんだ?」
もちろんそれは僕には分かりません。僕は正しい座り方や正しい発声を研究していないからです。テレビでも、正しい座り方や正しい発声なんていうものは教えていません。でも、こう思うわけです。もしかしたら、昔の人はそれを研究したのではないだろうか?きっと考えていただろう、と。健康を問い詰めていった時、ここに行きつかないはずがないのです。古代の人は必死になって、この「正しさ」を探したはずだ、と僕は考えました。
そこで、宗教に翻って考えてみますと、仏教にはお経があり、坐禅があり、精進料理があります。
例えば、坐禅って、なんであんなことをするのでしょう?何故、座って禅をするのか?瞑想をするのならば、寝転がりながらでもできるはずですし、ただ単に精神鍛錬ならば、もっと効率のいい方法があるはずです。ですから、こう考えてみてはどうでしょうか。坐禅は「正しく座る」ことに意味があるのではないか。
そう考えてみると、他のお経や精進料理というのも
経を読む→正しい発声の修行?
精進料理→正しい食べ方の修行?
なのではないかと思えてきます。
仏教だけではありません。例えば、仏教、キリスト教、イスラム教には共通して「断食」という習慣があります。
何故、断食をするのでしょうか?精神修行のためでしょうか?
近年、科学的に人間は断食をした方が体が健康的であることが実証されています。この効果を昔の人は経験則として知っていたのではないでしょうか?だから、断食という習慣が多くの宗教の中に取り入れられているのだと考える方が自然です。「食に感謝するため」とか「食のない苦しみを知るため」といった精神修養は後付けのような気がします。
それでは、次回はこの中から「お経」にスポットを当てて、追っていきましょう。

池の鬼

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