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江戸幕府は300年続いたが、その江戸幕府がなぜ瓦解したのか。
というのは、教科書でいくと、幕末のペリー来航から世論が開国論と攘夷論に分かれ、その決裂から、幕府が薩長に脇を刺された!みたいな形で大政奉還、明治維新の流れと教えられている。
しかし、考えてみるに、まあペリー来航は時代の流れだったとしても、その前後の幕府の展開、開国論と攘夷論で揺れる“お国”を取りまとめることができなかった、というのはすでにこの頃、幕府がそういった見解を諸国に統制する力を失っていたということが知れるのであり、これはどういうことかというと、瓦解は偶然起きたのではなく、必然的にじわじわと起こっていた!と言えるであろう。それだけ幕末の江戸幕府は弱体化が進んでいた。
では!
なぜ、幕府が弱体化していったのか、と言うと、一つに「戦わなくなった」からであるということが言える。徳川家康が全国を平定し、戦乱の世は終わった。ここから日本は争いのない時代へと突入していくわけだけど、争いがなくなったから武士はいらぬ。武士はいらぬのだけど、「じゃあ全員解雇」みたな先の派遣切りのように事が進んだかと言うと、それはノーであって、武士は食わねど高楊枝、当時の人々は身分や格を大切にして生きていたのである。だから武士もまた「じゃ、俺武士やめて漁業でもするかな」という按配にはいかず、これはつまりどういうことかと言うと、仕事のない武士が増えた。これが幕府弱体化の要因の一つだ。
そしてもう一つが、農民である。当時、農民というのは国民の8割を占めており、この人たちはどういう風に生活していたかと言うと、単純に米や麦を作って暮らしていた。しかし、その米や麦がすべて自分の自由にできていたわけではない。これは年貢と言って、その多くを官に納めていた。これは現在でいうところの税金だ。それを食って殿さま以下武士は給料の米をもらい生活をしていた。
しかし、どうだ。
世の中に争いが無くなってみれば、農民である彼らはお上に米を払うのが馬鹿らしくなってきた。というのも、なぜ農民が米をお上に納めていたかというと、これはミカジメ料であった。彼らは自分で戦わない代わりに、武士に対し米を払うことで、他国が攻めてきた時に代わりに戦ってもらう、というギブアンドテイクな関係を築いていたわけである。
それが江戸時代になって平和になってみれば、争いもなくなり、争いもないのに「なんで俺たちがあんたらの飯を用意せなあかんのよ。なめてんのかこら」という話にもなって、各地で百姓一揆が勃発したわけである。ここら辺、教科書では「年貢の取り立てが厳しくなって」などと説明しているが、これは言い様であって、もっと分かりやすくいえば、この時点でギブアンドテイクの関係が崩れたからだと言っていい。つまり農民がギブギブギブギブギブギブギブテイクギブギブ、幕府側がテイクテイクテイクテイクテイクテイクテイクギブテイクテイクというような按配になったから百姓一揆が多発、江戸幕府を弱体化させていったと言える。
そこに外国から黒船がやってきて「開けてちょんまげ」と迫った。これをきっかけに江戸幕府が中からも外からも無残に瓦解していった、というのが歴史である。
さあ、ぼくは最近、例の暴力団追放令みたなものを見ていて思うのだけど、芸能界から競馬会から、これまで暴力団と関係のあった各職場からどんどん暴力団を排除しようという流れを、この江戸幕府のように思っているのである。
少なくとも昭和という時代まで暴力団やヤクザといった立場の人々は、ある種必要不可欠な存在であり、暗躍、という言葉があるくらい、社会の裏側で表には出せない物事をたくさん処理してきたのであろう。
ところが日本が戦後を抜け、バブル崩壊以後、成長は安定期に入り、平成。社会の裏側は段々と狭くなり、隙間程度になった。それはさも、争いをなくした江戸幕府のように、もはやその存在だけが、葵の紋だけが重たく世間にのしかかり、庶民はそれを賞賛するそぶりで、蔭では目の上のたんこぶのように思い始めていたのである。
まず、仕事がなくなったのだ。土建業は往時、田中角栄首相が唱えた日本列島改造論の時のように活発ではなくなり、土地にまつわる仕事が減った。社会が安定したことにより警察力も向上し、ミカジメとしての出番も減った。博打も食えねえ。そして残ったのは、暴力団の“暴力”という部分に対する庶民の“恐怖”だけであり、それならば“恐怖”は排除しよう、というのがこの平成の流れなのであろう。
そして、ついに興行の世界にメスが入り、芸能界にメスが入り、競馬会にメスが入り、このような事態に発展した。
江戸幕府が時代の流れで崩壊していったように、これもまた時代の流れなのだろうか。時には頼り頼られのギブアンドテイクな時代もあったはずだが、情勢が安定すると、そういうものがうっとおしくなってくるのは人の世の常のようだ。「英雄も最後は邪魔になる」とは海外の格言だが、ナポレオンもそうであったように、結局は儚い世の中に住んでいるんだな、と妙に実感している今日この頃なのである。別に英雄視するわけではないけれど。