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20120422

呪文について

【カテゴリ:日常】

少し前に不老不死について触れました。
不老不死。本当にそんなことが可能なのか?と。
結論として、現在は寿命を伸ばす薬の発見というところまで来ているという話でした。
いや、すごい話です。
それで、今回は呪文について。
呪文、なんていうと自分はドラクエのメラとかホイミとかを思い出します。
呪文と言ってしまうとどこか遠くなってしまうのですが、身近な言い方をすればおまじない。これも呪文です。
小さい頃に道路で転んでひざ小僧をすりむいた時など、親や祖母が「痛いの痛いの飛んで行け」とやってくれました。本当はそんなことで痛みがなくなるはずはないのですが、そうされると少し心が軽くなる。痛みが消える、というよりは心が安心して楽になる。
「痛み」を空に飛ばしてしまう、というこの発想はよく考えれば妖しく、謎めいていて、だからこそロマンチックでもあります。子供の頃は、そうやって大人が空に投げだした手の先に「痛み」が羽を生やして飛んでいく姿をイメージしたものでした。
本来、抽象的なものである「痛み」を具現化して体から追い出してしまう、これはまさしく呪文であります。
ゲームのように、手の先から火の球を出すだとか、相手を一瞬で氷漬けにしてしまう、といったような呪文はありませんが、このような「痛いの痛いの~」といった呪文は、実は社会にありふれています。
歌もまた一つの呪文です。好きな歌を聴いていると、心が落ち着いたり、情熱的になったり、やる気が湧いてきたりします。つまり、調子が好転する。先ほどのドラクエの例でいえば、ドラクエにはスクルトという防御力向上の呪文がありますが、好きな歌を聴いていると体の調子が良くなり、免疫力の向上といった効果もありそうですから、スクルトというのは案外現実でも使える呪文なのかもしれません。歌というのは本来、そういうエネルギーを持っています。
では、逆に人を呪うパワーを持った呪文は存在するのでしょうか?
こんなことを言うとオカルト的ですが、呪う文言と書いて、呪文ですから、そういう負の呪文もやはりあります。
簡単なところで言えば、受験生の前で「滑る」「転ぶ」と言えば、これは相手にダメージを与えます。
負の呪文の基本は相手のコンプレックスをつくことです。例えば、頭が禿げていることを気にしている人に「ハゲ」と言うと、相手は大きく落胆します。ところが、同じように頭が禿げていても、それを気にしない人に「ハゲ」と言っても相手はそう落胆しません。呪文の効果は人の深層心理とリンクしています。
受験生の例でいえば、受験生は心のどこかに「この試験に落ちるんじゃないか?」という不安があるから、それに関連した言葉にエネルギーを奪われるわけです。ですから周りはそれに気を遣い、隠避する。
もし根性の悪いやつが、故意にこれを受験生に向けて言ったとしたら、相手の調子が落ちていきます。集中力をなくし、エネルギーが失われていく。ひどくなれば、意気消沈してしまう。ドラクエでいえばザキということになりましょうか。
呪文は身近なところに常に存在しているのですが、普通はあまりそういうことを気にして生活しないものですから、ただの言葉として受け取ってしまいがちです。しかし、言葉というのは本当は諸刃の剣です。人を活かしもすれば、殺しもする。
負の言葉ばかり発する人のそばにいると自分まで負になってしまうし、正の言葉を言う人が周りにいると、そこに正の空気が生まれる。人づきあいというものを考えた時、言葉をただの言葉と受け取らず、それが呪文であると考えると状況が分かりやすくなることがあります。また、人から嫌なことを言われたとき、鬱になるのではなく、それが相手の発した負の呪文であると考えれば対処法もまた変わってきます。受け取らずに避ける、捨てるという選択肢が出来るようになる。つまり、精神的にタフになれます。
翻って、この呪文というシステムを知っている人は、いつの時代も世の中を動かしてきました。良くも悪くも、言葉によって世界は左右してきました。
ヒトラーが演説の名手だったというのは、呪文の名手だったともいえます。呪文は勉強できることです。ヒトラーは言葉を勉強したでしょう。呪文を知らない聴衆はまんまとそれに乗ってしまい、熱狂したわけです。ヒトラーは熱狂の呪文を使いました。
また、スローガンというのもその一つです。スローガンというのは団結の呪文です。あなたが何か組織を指導しなくてはならないとして団結が必要ならば、強力なスローガンを作ってしまうことです。逆に敵の団結を破壊したかったら、敵が抑制しているもの、欲しているもの、コンプレックスなど、そういった弱点をついてしまうことです。例えば、立てこもり犯などを自首させる時に、その犯人の母親の言葉を聞かせる、というのは相手を崩すための効果的な呪文であり、また交渉術の基本でもあります。
呪文というのは仏教、特に密教の中に含まれていることですが、仏教だけでなく、宗教の基本だと言っていいでしょう。
そして、これはお気づきの方もいるかもしれませんが、「孫子の兵法」の一部でもあります。つまり戦術論でもある。
現代の科学でいえばプラシーボ効果ともいえますが、呪文というのはもっと広い範囲で力を持ったものです。
昔の人はこのような言葉の力を知って、言葉を駆使してきたのです。言葉の力をよく知って、使い分けてきました。そして、そのような力のある言葉を言霊と言いました。これが仏教でいうところのお経であり、キリスト教でいうところの聖書、イスラム教でいうところのコーランです。
古代人のそういった言葉に対する感性は、現代よりもある意味、先を行っていたかもしれません。呪文というとなんだか怪しく古臭い言葉ですが、その内容は現代においてもまったくもって新しいものだと言えるのです。

呪文

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