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床師とか、竿師という言葉がある。
隠語で好色家だったり、セックスで仕事をする人をさす言葉なのだが、これらは本来技術職で、房事で働く人々をいう。
現在でも風俗店に働きに出る女性が経験不足であった場合、その店の店長なりが技術指導をしたりする。平たく言えば、女性を仕込む。それが彼らの仕事であって、ただの好色家というわけではない。
そのルーツをさかのぼれば、少し前は遊郭につながる。江戸時代、最も繁華な遊郭だったのが江戸・吉原だが、遊廓には女性を仕込むための職能集団があり、例えば、下刈り屋という職業があった。
これは、女性のアンダーヘアを処理する、陰毛専門の床屋(美容師)みたいなもので、現在でもある仕事だ。ネットで陰毛処理とでも検索すれば、ヒットする。当時の下刈り屋は陰毛を剃る時に毛を刃で剃るということをしなかった。毛を切る時、一般的に用いたのが、石と石で擦りきるという方法なのだけど、何故、このような方法をとるかというと、剃刀などで毛を切った場合は毛先がとがるので、性交をした時に男性にとってはその毛が痛い、気になる、毛ズレの原因になる、からだ。石と石で擦りきると、毛先がとがらず、当たりが柔らかくなる。
それ以上にいいのが焼き切りであり、これは蝋や線香で毛を焼き溶かして切る。すると自然、毛先が丸くなるので、当たりが抜群にいい。ということを、これら遊廓の職能集団は技術として持っており、働いていた。
遊郭で働く女性を、平たくは「遊女」(遊女の語源はまた後ほど詳しく追う)「女郎」と言い、彼女達は男を相手にして生活するわけだから、その技術や体の手入れというのは並大抵のものではなく、いわゆる花魁(おいらん)という最高級の女郎となると、これは子供の頃からそれ相応の教育を受けることになる。
花魁になるためには、富裕家の娘以上に稽古事に熟達し、華道や茶道など多くを習うわけだが、もちろんそれでいて全ての女性が花魁になれるわけではない。花魁になるには条件があり、容姿もさることながら、名器を持っているかどうかが大きな判別点であったという。
名器の判断基準は色々あるのだが、一つ挙げれば、上付き、下付き、というものがあり、上付きとは、陰部がより体の前面にあることを言う。これは、正常位の際の男性器の挿入角度と関連していて、この上付きほど具合がよく名器とされる。理想としては膣と肛門の間(蟻の門渡り)が二寸五分(約7.5cm)とされる。それ以外にも形やら匂いやら色々あるのだが、それだけで名器が完成するわけではなく、その素質を持ってしてスタートであり、ここから仕込みが始まる。
では、名器とは一体どうやって作るのか?
というのもまた色々あるのだが、一つ挙げれば、「歩き方」がある。花魁というのは花魁道中で有名だが、しゃなりしゃなりといった表現の独特な歩き方をする。足を前に出す時に一度左右に足を振り(パンチでいえばフックのように)歩く。これは美しい歩き方であると同時に、膣を鍛える歩き方でもある。
こういうことを遊廓の職能集団は一つ一つの技術として、幼い頃から女性に教え込んでいく。無論、現代に置き換えれば人権侵害も甚だしい話だが、歴史を知るための一つの手掛かりとして興味深い話だ。(余談だが、もし、現代でも名器を作りたいと思っている方がいれば、ダンスをおススメする。特にいいのはベリーダンスやフラダンス)
では、江戸以前はどうだったのか?遊廓以前の彼らはどこにいたのだろう?一体、どこからそのような技術を持ち込んだのだろうか?
技術的な内容はさておき、この話の本題はそこにある。
これら職能集団のルーツとは一体、何か?そして、その技術は一体、何のために、どこで、誰が、どうやって開発し、研究されたのか?
この辺りのことが実は社会科で習う歴史よりも多くの真実を隠していたりする。そして重大な真理を含んでもいる。
おまけだが、男性器にも名器があるとされている。
男性器で名器の条件とされるのは、以下の三点。
「色が黒く、反りがあり、カリがよく張っていること」
長さは長すぎるといけず、太さはあった方がいい。理想は長さ=太さ(周径)とされる。
これもまた、生まれもっての素質と、後天的な訓練が必要とされる。作り上げねば、名器は完成しない。
また、あまり知られていないが、肛門にも名器があるとされている。日本でも江戸以前、肛門性交は一般的に行われていた。肛門性交はアブノーマルな印象が強いが、コンドームがない当時、避妊手段としても存在していたのだ。
男色においても、現在、都市圏のゲイバー(売り専)などでは、男性を買うことが出来るが、彼らの値段相場というものがある。実際に聞いた話では「ケツ毛が生えていると値段が大幅に下落する」ということで、ケツ毛処理がスタンダードなのだという。これは、挿入時に毛が絡むのを防止するためだが、その上で、名器がある。
なんだか取り留めのない話になってしまった。